Double Peace :)

機能不全家族育ちの被虐待児。ものすごく元気に見られる心の病気持ち。ずっとスポーツが大好き。夢は健康に笑顔で大切な人と生きること。幸せな家庭育ちだけど見た目や雰囲気や性格や好みは僕と似た、前から知ってる子(ニコ)にこっそり片想い中。DV親からいずれうまく逃げるための手段を色々考えながらも、非DV親が入院・手術して療養し始めてからは家のことにも追われる毎日。
機能不全家族育ちの被虐待児。
ものすごく元気に見られる心の病気持ち。
ずっとスポーツが大好き。
夢は健康に笑顔で大切な人と生きること。

幸せな家庭育ちだけど
見た目や雰囲気や性格や好みは僕と似た、
前から知ってる子(ニコ)にこっそり片想い中。

DV親からいずれうまく逃げるための
手段を色々考えながらも、
非DV親が入院・手術して療養し始めてからは
家のことにも追われる毎日。
家族は縛られるもの?

家族は縛られるもの?

昨日、自室に帰るまでの夜の数分の間に
たまたまリビングにあった本を読んでたら

その中に家族について書いてた人がいて
一言一句は違うんやけど短くまとめたら

「家族だからという理由で、家族の誰かが
当たり前のように犠牲になるという
悪い意味で昔のままの考え方は
個人的には好きにはなれない」

とう内容で書いてあって、何か納得やなあって。


「お母さんだから毎日家事も育児も
一人でこなして当たり前」
「子どもだから将来どんな場合でも
親を見る責任がある」
「どんなに辛くても家族に何かがあれば
最後まで逃げずに家族内でどうにかするべき」

というような考えって
誰か一人に明らかに負担がかかってても
「家族」という形を理由にあとの人たちは
見て見ぬふりして過ごしてるだけな気がする。


「でも家族でしょ?
じゃあしんどくても頑張るのは仕方ないよ」
みたいな。


僕は自分が複雑な家庭に育ってるからか
家族という言葉にあんまりいい印象がなくて

だから世間一般の広告とか何か節目の行事とかで
とかく家族を強調されると
「幸せな家族はそれでいいけど
そんな家庭に育ってない人もおるんや!」
って心の中はささくれ立ってる。

家族という言葉や存在を使っとけば
とりあえず幸せな感じに無難に収まる
という考えが透けて見えるような

例えばCMとか、イベント事も正直苦手。



心底幸せと言える家族に生まれて

家族というものに縛られて苦しんで
やむなく自分の限界を超えてまで
自分を抑え込んで家族のためだけに
無理するというんやなくて自主的に

「どんなに苦しい思いをしても
家族のために自分が頑張りたい」

とその本人が思うならそれは
その人にとっての答えがそうなんやから
他の人が何かを言える話ではないし
それでいいんやと思う。


だけど、自分自身にまず余裕がない時に
「まず家族を優先するのは当たり前でしょ」
「まさか家族を見放して自分を
守るような生き方はしないよね?」
というプレッシャー、圧力というのは

僕も家族内でこれまで色々ある度に
家庭内でも周りからも強く感じてきた。


特に親戚は、一番ひどいのは見てないにせよ
DV親のDVを多少見たりもして知ってるのに

僕がすごく辛い時に

「家族なんやから我慢するんは当たり前やで」
「〇〇(DV親)がおらへんかったら
ラケは生まれてないわけで、だから命を
もらえたことに感謝して支えるべき」
「家族なんやから言えば解り合える
(=諦めて言わないのは僕の怠慢)」

という言い方をされて唖然とした。


僕の家は、家族やから親戚やから
こうして当たり前という身内ルールが
かなり強くあると思う。

昨日も少し書いたけど、
序列みたいなのがあって
言葉は悪いけど下っ端の人は
何か嫌なことを言われても
「まぁあいつは言われてもしゃあないやん」
みたいな雰囲気があったり。


僕はいとこの中でも一番年下で、
複雑な家庭に生まれてることとか
他にも色々あって、序列的に下に見られてた。

ラケならいじってもええぞ!
ストレス発散しても許されるぞ!という空気。


親の両方、それに加えて親戚たちからも
暴力を振るわれる家庭もあることを考えれば
実際に暴力を振るうのはDV親のみという環境は
DV家庭の中ではましな方に入るのかもしれない。


それでも、僕にとっては
「家族やからこうあるべき」
「身内とはこうするべき」
という細かい謎の考えやルールが
本当に窮屈で疑問で苦痛に感じてきた。


僕は本に自分の気持ちを書けるような
著名な人間ではないから
自分の考えをこうしてこういう場所に
密かに書くだけでやっとやけど、

「昔の時代ならともかくこれからは
家族だから何でも理不尽に耐え抜いて
当たり前という考えは変わっていった方が
いいんじゃないかと個人的には思う」

と世間に問いかけてくれる人がいることを
嬉しく心強く思った。


家族がいても好き勝手に
親兄弟を無視して自由に生きろ、
という生き方を推奨するわけではない。

本当に支えてもらったり
精神的なことも含めて助けてくれたり
愛を持って接してくれた親兄弟に対してなら、

わざわざ誰かに「大事にして当たり前」なんて
言われたり決められたりしなくても自発的に

家族が困ってれば助けるし
辛かったら支えになるし
それが人としての心を持つってことな気がする。


でも、「家族とはこういうもの」と
提唱する人たちが考えてる範疇ではない家族も
世の中には存在するわけで、

その人が自分の価値観や考えに則って
家族と向き合うのは自由にすればいいけど、

本当に考えられないような歪みがあったり
温もりのない苦しい家族に育つ人もいて

育った家庭が十人十色のその10人に対して
同じように「家族はこうあるべき」と
強調して押し付けるのは僕は疑問かなあ。



誰だって、暴力のない温かく幸せな家庭に
生まれてきたいんよな。

でも、そうではなかった人たちは
家族の闇や裏側を見てきて知ってるからこそ

家族というものがさも美しくて幸せなものの
象徴みたいに世間では描かれてることすら
しんどくて辛くて苦しかったりする。


そこに、「家族はこうあるべき」という
無意識にはびこってる世間の価値観や
理不尽な他人たちの物差しを基準に
あれこれ言われるのは、ほんまきつい。

**

将来のために行動に移さないと
いけないかなと思ってることが
心の中ですごく揺れ動いてる。

もしうまくいけば
DV親のもとから逃げられる基盤ができる。

でも、それそのものは全く
気が進まないこと‥。

もしその方向に進むなら
ニコのことも諦めないといけないやろう。


本当に、将来については
顔には出さなくてもずっと悩んでる。

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