読書の効果/ニコが褒められた!
ここ数日、モヤモヤした気持ちに
なることが多くて、意識的に人との関わりを
最低限にして、自分の気持ちノートを
読み返したり、読書する時間を増やした。
読書と言っても、決して分厚い本を
何百ページ読んだとかいう話ではなくて、
今の体調でも無理なく読めるようなもの、
買わなくても家にあるものを選んで読んだ。
その本の中に、毎日のルーティンが
細かく決まってる親について書いてた人がいて、
喜んでくれるかなと思って自分が特に
深い意味はないけどしたことに対しても
複数回になればそのルーティンに勝手に
入れられかねないから、わざと自分の
その人への接し方を日にちや曜日や時間に
とらわれないように意識したという話が
DV親のこだわりとも似てる部分があって
普段の生活でいちいち言わなくても
(言えなくても)、そういうビクビクした中で
育った人は思ったより存在するのかも?
と思った。
僕はできる限り人に期待せずに生きてる。
それでも、周りの人たちが
「〇〇やっとくよー」「△△なら任せて!」
と言ってくれたりすると、少なからず期待する。
だけど、いざその状況が来ても
自分がそう言ったことをその人たちは覚えてない。
言葉に責任を持たない人にとっては
きっとそれは失礼でも不義理でもなく
いつもの日常なんやろうなと思うし、
そういう人に、相手の気持ちを考えろとか
そんなこと無理に決まってる。
分かってるんやけど、最近それについて
モヤモヤすることも多かった。
だけど、本読んでると、
ほんま世の中色んな人がいて
理不尽なこともあるけど
この人はこうやって考えてるんやなーとか
共感する時も多いし、勉強にもなる。
転校先の国語の先生が
「晴耕雨読」という言葉が大好きで、
「雨が降る日は家でゆっくり
読書するのもいいもんや」とかよく言ってた。
怒ったらめちゃくちゃ怖い先生で、
僕が当時いたクラスが学級崩壊ぎみの
真面目に授業聞いてるのが数人
みたいなクラスやったから
その先生はしょっちゅう教室で怒ってて
(先生からしたら授業のやりがいがない
クラスやったやろうなとは確かに思う)
僕は家でも学校でも人の機嫌に怯えることに
辟易してたんやけど、
今でも晴耕雨読の話は心に残ってる。
僕みたいな家庭に育った人は特に
考えとか行動パターンが偏りやすい。
自分がどう思うか、自分がどうしたいかより
人の機嫌や状況をうかがって
決めざるをえない人生を送ってきたから。
でも、本読んでたら
「そういう考えもありなんやな」とか
「それは別に悪いことではないんか!」とか
新たな発見もあるし、肩の荷が下りる気もする。
あと、僕は昔から動物が大好きで
野良猫を保護したこともあったりして
将来犬か猫を飼おうと思ってるんやけど、
その時できれば保護犬か保護猫を
飼えたらいいなと考えてて
その話も本で詳しく知れて良かった。
こういう時間は大切やな。
なかなか自分の時間を取るのが
難しいからこそ、その時間の使い方を
大切にしていきたいと思う。
**
今の支社の周りの人たちがニコのことを
「真面目で誠実」「行儀がいい」
「気配りができてすごいと思った」と
言ってくれてて、僕も嬉しい。
僕はニコと今なかなか自由に会えないから
そうやって同じ県にいる人たちを
何とも言えない気持ちで見てしまうことも
ないと言えば嘘になってしまうけど‥。
ニコは内面もとても素敵な人。
突然違う県で働くことになっても
この数ヶ月、前向きに笑顔で
頑張ってきたんやなとそれも嬉しかった。
ニコは来年はまた元の支社に戻ると思う。
でも、思いがけない異動にも
(正直嫌やったこともあったと思うけど)
元気に過ごしたことに心から拍手を送りたい。
毎日そうやって元気に
何事もないふうに過ごすことは
決して当たり前ではないから。
僕も自分を磨かないとな。
育った環境や、もっとこうしておけば
良かったと思う過去は変えられなくても、
自分の努力でどうにかできる部分は
いつだって自分次第やから。
心の安定とか、やっぱりDV家庭育ちには
大きな壁というか欠けてるものは
どうしてもあると僕自身も自覚してるからこそ、
自分の自覚や心がけでどうにでもなる
伸びしろ部分に懸けるしかないというのもある。
‥頑張ろ。
なることが多くて、意識的に人との関わりを
最低限にして、自分の気持ちノートを
読み返したり、読書する時間を増やした。
読書と言っても、決して分厚い本を
何百ページ読んだとかいう話ではなくて、
今の体調でも無理なく読めるようなもの、
買わなくても家にあるものを選んで読んだ。
その本の中に、毎日のルーティンが
細かく決まってる親について書いてた人がいて、
喜んでくれるかなと思って自分が特に
深い意味はないけどしたことに対しても
複数回になればそのルーティンに勝手に
入れられかねないから、わざと自分の
その人への接し方を日にちや曜日や時間に
とらわれないように意識したという話が
DV親のこだわりとも似てる部分があって
普段の生活でいちいち言わなくても
(言えなくても)、そういうビクビクした中で
育った人は思ったより存在するのかも?
と思った。
僕はできる限り人に期待せずに生きてる。
それでも、周りの人たちが
「〇〇やっとくよー」「△△なら任せて!」
と言ってくれたりすると、少なからず期待する。
だけど、いざその状況が来ても
自分がそう言ったことをその人たちは覚えてない。
言葉に責任を持たない人にとっては
きっとそれは失礼でも不義理でもなく
いつもの日常なんやろうなと思うし、
そういう人に、相手の気持ちを考えろとか
そんなこと無理に決まってる。
分かってるんやけど、最近それについて
モヤモヤすることも多かった。
だけど、本読んでると、
ほんま世の中色んな人がいて
理不尽なこともあるけど
この人はこうやって考えてるんやなーとか
共感する時も多いし、勉強にもなる。
転校先の国語の先生が
「晴耕雨読」という言葉が大好きで、
「雨が降る日は家でゆっくり
読書するのもいいもんや」とかよく言ってた。
怒ったらめちゃくちゃ怖い先生で、
僕が当時いたクラスが学級崩壊ぎみの
真面目に授業聞いてるのが数人
みたいなクラスやったから
その先生はしょっちゅう教室で怒ってて
(先生からしたら授業のやりがいがない
クラスやったやろうなとは確かに思う)
僕は家でも学校でも人の機嫌に怯えることに
辟易してたんやけど、
今でも晴耕雨読の話は心に残ってる。
僕みたいな家庭に育った人は特に
考えとか行動パターンが偏りやすい。
自分がどう思うか、自分がどうしたいかより
人の機嫌や状況をうかがって
決めざるをえない人生を送ってきたから。
でも、本読んでたら
「そういう考えもありなんやな」とか
「それは別に悪いことではないんか!」とか
新たな発見もあるし、肩の荷が下りる気もする。
あと、僕は昔から動物が大好きで
野良猫を保護したこともあったりして
将来犬か猫を飼おうと思ってるんやけど、
その時できれば保護犬か保護猫を
飼えたらいいなと考えてて
その話も本で詳しく知れて良かった。
こういう時間は大切やな。
なかなか自分の時間を取るのが
難しいからこそ、その時間の使い方を
大切にしていきたいと思う。
**
今の支社の周りの人たちがニコのことを
「真面目で誠実」「行儀がいい」
「気配りができてすごいと思った」と
言ってくれてて、僕も嬉しい。
僕はニコと今なかなか自由に会えないから
そうやって同じ県にいる人たちを
何とも言えない気持ちで見てしまうことも
ないと言えば嘘になってしまうけど‥。
ニコは内面もとても素敵な人。
突然違う県で働くことになっても
この数ヶ月、前向きに笑顔で
頑張ってきたんやなとそれも嬉しかった。
ニコは来年はまた元の支社に戻ると思う。
でも、思いがけない異動にも
(正直嫌やったこともあったと思うけど)
元気に過ごしたことに心から拍手を送りたい。
毎日そうやって元気に
何事もないふうに過ごすことは
決して当たり前ではないから。
僕も自分を磨かないとな。
育った環境や、もっとこうしておけば
良かったと思う過去は変えられなくても、
自分の努力でどうにかできる部分は
いつだって自分次第やから。
心の安定とか、やっぱりDV家庭育ちには
大きな壁というか欠けてるものは
どうしてもあると僕自身も自覚してるからこそ、
自分の自覚や心がけでどうにでもなる
伸びしろ部分に懸けるしかないというのもある。
‥頑張ろ。
コメントを書く...
Comments