怖い夢→思うこと→タリーズ
夜中に目が覚めてその後なかなか眠れない
という時の孤独感って、結構強い。
それでも、
「ほんとラケはいつも面白いから
話してても面白すぎる(*≧艸≦)」
と言ってた知り合いの言葉を思い返して、
外の世界ではちゃんと楽しそうに
振る舞えてる自分に少しホッとする。
早朝からの仕事がある時は特に
少しでも睡眠を取りたいと思えば思うほど
逆になかなか眠れなくて、
少し寝れても冷や汗をかくような
夢を見てまた起きたりする。
今日は、目覚ましが鳴らなくて
僕がいつもの時間に起きなかったら
非DV親が自室に怒りながら起こしに来て
その時に自室をあれこれ見られる
という恐ろしい夢を見て焦って起きた( ゚д゚)
もし実際にそんなことがあったら
部屋の入り口からは見えない所に飾ってる
趣味関係の物とかも見られるってこと。
怖すぎる( ゚艸゚;)
**
早朝の仕事と夕方からのハードな仕事は
肉体的にも結構しんどいけど、
来年になったら今より大幅に
その時間帯の仕事のシフトが減る。
それは体を休める時間が増えるという
意味では有り難いし嬉しいんやけど、
その仕事のシフトが減る=
DV親と顔を合わせる時間はかなり増える
というのが、精神的には逆に負担が
大きくなるということになる‥。
本当は、その時期に合わせてというか
ちょうどそれにきっちり合わせるのは
無理やとしても、近いタイミングで
ここを出て新しい生活基盤を作ることを
考えてたんやけど、間に合いそうにない;
新しい生活基盤を作るための
選択肢の一つとして考えてるのが
前に挑戦したけど自分には合わなくて
すごく追い詰められた道で、
その時は「やっぱりこれはどうしても
自分には合わないから違う方法を探そう」
と思ってそこからは離れたんやけど、
生きていくためには
どんなに合わなくても追い詰められても
結局は回り回ってその道を
考えないといけないというのが
僕なりにその期間少しは
人として学んだこともあったはずやし
成長もしたはずやのに
その部分に関しては同じなんかなと
たまらなくやるせない気持ちになってる。
**
非DV親に度々言われる言葉がある。
「親は子どもを見てれば何でも分かる」
たぶん、本来の意味は
子どもがわざわざ言葉に出したりしなくても
子どもが辛い気持ちでいる時には
親は気づくものやという
温かさもある表現なんやろうけど、
非DV親の場合は
「自分に黙って何か楽しんでたり
夢中になったりしてみろ、
そんなもん黙っててもラケの心の奥なんて
何でも見えるんやから隠されへんぞ!
自分がしてほしくないことはするな、
自分が関わってほしくないものとは関わるな、
何歳になっても自分が望む通りの人間でいろ、
そうやないと許さへんからな」
を意味する言葉やと僕は思ってる。
子どもの頃から何度となく言われる
この言葉は僕にとって苦痛で呪縛みたい。
常識とか道徳的にとかそういう話ではなく
「自分にとって都合が悪いことはするな」
親のエゴであり身勝手よな、とすごく思う。
そして、完璧主義な非DV親は
あらゆる面で「納得がいく範囲」
「許せる範囲」が極端に狭い(´Д`)
その中で生きてたらどんな趣味でも
心からなんて楽しめないし、
100人いたら99人には何らかの文句が
出るやろうから、安心して生きられない。
自分を抑えつけて生きてきた僕には
どこまでが身勝手なわがままで
どこからが正当な自分の意志なのかが
いまいちはっきり分からなく感じられる。
**
訳あって久しぶりにタリーズに行けた!
キャラメルラテおいしかったな(^q^)
普段心を落ち着かせられる場所が
なかなかないからこそ
こういう時間を大切にしたいと思った。
非DV親が入院してた頃は
こんな時間を持つこともできなかった。
そう考えたら、今はこうして
気分転換できるだけでも有り難いよなあ。
今日はずっと眠気と闘ってる一日やった。
無駄に夜ふかしせずにベッドに入っても
そこから眠れなかったら
ベッドにいても睡眠を取ってるうちには
入らないし、今日は眠れますように‥( ˘ω˘ 人)
という時の孤独感って、結構強い。
それでも、
「ほんとラケはいつも面白いから
話してても面白すぎる(*≧艸≦)」
と言ってた知り合いの言葉を思い返して、
外の世界ではちゃんと楽しそうに
振る舞えてる自分に少しホッとする。
早朝からの仕事がある時は特に
少しでも睡眠を取りたいと思えば思うほど
逆になかなか眠れなくて、
少し寝れても冷や汗をかくような
夢を見てまた起きたりする。
今日は、目覚ましが鳴らなくて
僕がいつもの時間に起きなかったら
非DV親が自室に怒りながら起こしに来て
その時に自室をあれこれ見られる
という恐ろしい夢を見て焦って起きた( ゚д゚)
もし実際にそんなことがあったら
部屋の入り口からは見えない所に飾ってる
趣味関係の物とかも見られるってこと。
怖すぎる( ゚艸゚;)
**
早朝の仕事と夕方からのハードな仕事は
肉体的にも結構しんどいけど、
来年になったら今より大幅に
その時間帯の仕事のシフトが減る。
それは体を休める時間が増えるという
意味では有り難いし嬉しいんやけど、
その仕事のシフトが減る=
DV親と顔を合わせる時間はかなり増える
というのが、精神的には逆に負担が
大きくなるということになる‥。
本当は、その時期に合わせてというか
ちょうどそれにきっちり合わせるのは
無理やとしても、近いタイミングで
ここを出て新しい生活基盤を作ることを
考えてたんやけど、間に合いそうにない;
新しい生活基盤を作るための
選択肢の一つとして考えてるのが
前に挑戦したけど自分には合わなくて
すごく追い詰められた道で、
その時は「やっぱりこれはどうしても
自分には合わないから違う方法を探そう」
と思ってそこからは離れたんやけど、
生きていくためには
どんなに合わなくても追い詰められても
結局は回り回ってその道を
考えないといけないというのが
僕なりにその期間少しは
人として学んだこともあったはずやし
成長もしたはずやのに
その部分に関しては同じなんかなと
たまらなくやるせない気持ちになってる。
**
非DV親に度々言われる言葉がある。
「親は子どもを見てれば何でも分かる」
たぶん、本来の意味は
子どもがわざわざ言葉に出したりしなくても
子どもが辛い気持ちでいる時には
親は気づくものやという
温かさもある表現なんやろうけど、
非DV親の場合は
「自分に黙って何か楽しんでたり
夢中になったりしてみろ、
そんなもん黙っててもラケの心の奥なんて
何でも見えるんやから隠されへんぞ!
自分がしてほしくないことはするな、
自分が関わってほしくないものとは関わるな、
何歳になっても自分が望む通りの人間でいろ、
そうやないと許さへんからな」
を意味する言葉やと僕は思ってる。
子どもの頃から何度となく言われる
この言葉は僕にとって苦痛で呪縛みたい。
常識とか道徳的にとかそういう話ではなく
「自分にとって都合が悪いことはするな」
親のエゴであり身勝手よな、とすごく思う。
そして、完璧主義な非DV親は
あらゆる面で「納得がいく範囲」
「許せる範囲」が極端に狭い(´Д`)
その中で生きてたらどんな趣味でも
心からなんて楽しめないし、
100人いたら99人には何らかの文句が
出るやろうから、安心して生きられない。
自分を抑えつけて生きてきた僕には
どこまでが身勝手なわがままで
どこからが正当な自分の意志なのかが
いまいちはっきり分からなく感じられる。
**
訳あって久しぶりにタリーズに行けた!
キャラメルラテおいしかったな(^q^)
普段心を落ち着かせられる場所が
なかなかないからこそ
こういう時間を大切にしたいと思った。
非DV親が入院してた頃は
こんな時間を持つこともできなかった。
そう考えたら、今はこうして
気分転換できるだけでも有り難いよなあ。
今日はずっと眠気と闘ってる一日やった。
無駄に夜ふかしせずにベッドに入っても
そこから眠れなかったら
ベッドにいても睡眠を取ってるうちには
入らないし、今日は眠れますように‥( ˘ω˘ 人)
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