Good MEAL Good SMILE
「これ、いかにもラケ好きそうやんね」
と渡された100均(Watts)の割り箸。
僕はこういうモノトーンに数字や
アルファベットデザインがすごく好きで、
できるだけ物は増やさないようにしながらも
そういうデザインの雑貨とかを見かけると
つい足が止まってしまう。
服はモノトーン以外のも着るし
小物もモノトーン以外のも使うんやけど、
何か落ち着くんよなあ。
ちょうど割り箸少なくなってたし
そのモノトーンデザインのを買うことにした。
その箸袋に「Good MEAL Good SMILE」
と書いてあって、いい言葉やなーって(^^)
俗に言うファーストフードとか
子どもがいかにも好きそうな
色が派手なお菓子とかに非DV親が
僕が小さい時からあんまりいい顔をしなくて、
僕は子どもの頃から大人に合わせた食事を
食べる機会が多かった。
そういう意味では
子どもの好みや見栄えよりも
体にいいものを!という家庭やったけど、
非DV親が大病して入院して
非DV親に食事制限があるようになって
僕が基本的にいつも食事を作るようになって
改めて考えるようになったことも沢山ある。
限られた食材しか使えない中で
栄養はちゃんと摂らないといけない、
調理法もダメなものもあるから
その調理法やなくてもその食材を
おいしく食べられる方法は何やろ?とか、
僕も全然まだまだ栄養関係に詳しくはないけど
簡単に手軽に気楽に食べられるものには
体にあんまり良くないものや
病気を経験した人には食べられないものも
多いことも現実的に知った。
限られた時間の中で、なるべく全て手作りで
毎日料理をするというのは、
家にいるほとんどの時間をキッチンで
過ごしてる気がするほど、正直負担は大きい。
出前を頼むとか外で買ってくるとかを
もっと気軽にできたらいいなあと
思ってしまう時も、僕の体調や
忙しさによっては、本音を言えばある。
だけど、Good MEAL Good SMILEは
きっとただの商品ロゴやなくて
実際そうなんやろうなと思う。
「食べたもので体は作られる。
発した言葉で心は作られる」
というような言葉を聞いたことがあるけど、
食事はやっぱり大切なんやろうな。
まあ、かなり食べ物にも気を遣ってても
非DV親が大病を経験したということは
いくら食事に気をつけたところで
例えば過大なストレスがいつも身近にあれば
そういうのだって大きなリスクになる
とも実感してしまったわけなんやけど。
僕は、非DV親が大病するまでも
家事はしてたけど料理が好きとか
ましてや得意やなんて思ったことはなかった。
昔、晩ご飯に魚を焼いてDV親に出した時に
実際にはちゃんと中まで焼けてたんやけど
その時DV親の機嫌が悪くて
他に当たる理由がなかったせいで
「ここが焼けてへん!こんなもん食えるかよ」
と僕の顔の目の前にお皿を突きつけられて
ひどい態度を取られたことがあって、
何となくそれがトラウマというか
できれば料理に深くは関わりたくはない
という気持ちがずっとあったから‥。
だけど、非DV親の大病という
大きな出来事があって、“料理を毎日
限られた食材と調理法で全て手作りする”
という、僕にとって高いハードルが突然
2年半前に目の前に出現して、
料理以外の面でも非DV親の病気以降
それまでとは違うこと、変わったことも
沢山あったし、やっぱり戸惑いも多かった。
不安なことも、数え切れないほどあったし。
非DV親に長く健康でいてほしいから
という願いももちろんあるし、
僕は育った環境にものすごくトラウマや
欠陥がある人間やからせめて
家事など生活に密接したことを人より丁寧に
ちゃんとできる人になろう、
もし僕の育ち方を相手に知られたとしても
「それでもラケなら信じられる」と
思ってもらえるような人になろうという気持ちで
料理も含めてそれまで以上に頑張ってる。
“頑張ってる”なんて
人が認めてくれて初めて頑張りになることで、
自分で言うことではないかもしれないけど。
僕は家族団欒を知らずに育ってきたから、
平凡な話で笑い合えるような
何気ない団欒ができるような家族を
僕は作りたい。
不器用で生き方下手な僕が今
頑張る方向がこれなのかは分からないけど、
苦手やのに‥とか嫌々するよりはいいし
努力する気持ちは忘れずにいたい。
僕はいつも笑顔で生きてる人間やけど、
いつか心から笑えるようになりたい。
**
今年の後半から関わるようになった輪の中で、
僕は優しくしてもらったし
親切にしてもらったし、
一瞬家の悩みを考えなくても済みそうな
楽しい言葉もいっぱいかけてもらった。
でも、その一方で
自分の得になる人と以外は
関わりたくないんやなと思う人がいたり
約束事をなかなか守ろうとしない人がいたり
(するつもりがないなら初めから
無理なこと言わなければいいのにな‥)
バレなければいいと相手が傷つくような嘘を
平気でつく人がいたり
(結局バレて関係性も変わったけど)
あんまり良くない意味で
考えさせられることもあったなと思う。
僕にとって、多くの学びがある場でもあった。
元々すごく人間不信な面があるから
簡単に人は信用しないけど
やっぱり裏表がある人もいるんやなと
実感したのもあるし、
僕個人的に、自分だけのことなら
別にその人さえ良ければいいけど
相手が関わってくることに対して
無責任な人はちょっと親しくするのは
しんどいなと改めて思った出来事もあった。
そして、親切そうな顔して近づいて来る人が
実際にも親切かどうかなんて
すぐに判断したらいけないとも実感した。
自分がされて嫌やったことは
これからも人にはしないでおこうと思ったし、
自分がしてもらって嬉しかったことや
救われたこと、助けられたことは
僕も人にしていきたいなとも思った。
限られた自由な時間の中で、
新しいコミュニティーに飛び込める機会は
僕にはそうそうない。
でも、今年の後半に思いがけず
これまではその輪の中に入ったことが
なかった所に(初めはやむなくやったんやけど)
入ってみたことで、気づけたこともあるし
僕にとって新たな成長に繋がったなと感じる。
親が、僕がそうやって何か新しい場所で
交友関係ができたりするのをあんまり
いいと思わない部分もあるから
ものすごく気を遣ったし、特に非DV親からは
それでも嫌な顔をされることもあったけど、
それを踏まえて考えても沢山勉強になったし
その輪の中で学んだことをこれからに
活かしていけたらいいな。
人には期待しないという前提はあれど、
その上でこの人とは信頼関係を
築いていけそうという人はこれからも
大事にしていけたらと思うし、
本当に仲良くしたいと思える
損得関係なく接してくれる数少ない人と
この人は信用しない方がいいと感じたり
何となく合わないなと感じる人との
保つべき距離感の違いも僕の中で
去年よりも掴めるようになった一年でもあった。
明日から12月なんて早すぎるけど、
毎日があっという間に過ぎていくからこそ
余計に1日ずつを大事にしていきたい。
と渡された100均(Watts)の割り箸。
僕はこういうモノトーンに数字や
アルファベットデザインがすごく好きで、
できるだけ物は増やさないようにしながらも
そういうデザインの雑貨とかを見かけると
つい足が止まってしまう。
服はモノトーン以外のも着るし
小物もモノトーン以外のも使うんやけど、
何か落ち着くんよなあ。
ちょうど割り箸少なくなってたし
そのモノトーンデザインのを買うことにした。
その箸袋に「Good MEAL Good SMILE」
と書いてあって、いい言葉やなーって(^^)
俗に言うファーストフードとか
子どもがいかにも好きそうな
色が派手なお菓子とかに非DV親が
僕が小さい時からあんまりいい顔をしなくて、
僕は子どもの頃から大人に合わせた食事を
食べる機会が多かった。
そういう意味では
子どもの好みや見栄えよりも
体にいいものを!という家庭やったけど、
非DV親が大病して入院して
非DV親に食事制限があるようになって
僕が基本的にいつも食事を作るようになって
改めて考えるようになったことも沢山ある。
限られた食材しか使えない中で
栄養はちゃんと摂らないといけない、
調理法もダメなものもあるから
その調理法やなくてもその食材を
おいしく食べられる方法は何やろ?とか、
僕も全然まだまだ栄養関係に詳しくはないけど
簡単に手軽に気楽に食べられるものには
体にあんまり良くないものや
病気を経験した人には食べられないものも
多いことも現実的に知った。
限られた時間の中で、なるべく全て手作りで
毎日料理をするというのは、
家にいるほとんどの時間をキッチンで
過ごしてる気がするほど、正直負担は大きい。
出前を頼むとか外で買ってくるとかを
もっと気軽にできたらいいなあと
思ってしまう時も、僕の体調や
忙しさによっては、本音を言えばある。
だけど、Good MEAL Good SMILEは
きっとただの商品ロゴやなくて
実際そうなんやろうなと思う。
「食べたもので体は作られる。
発した言葉で心は作られる」
というような言葉を聞いたことがあるけど、
食事はやっぱり大切なんやろうな。
まあ、かなり食べ物にも気を遣ってても
非DV親が大病を経験したということは
いくら食事に気をつけたところで
例えば過大なストレスがいつも身近にあれば
そういうのだって大きなリスクになる
とも実感してしまったわけなんやけど。
僕は、非DV親が大病するまでも
家事はしてたけど料理が好きとか
ましてや得意やなんて思ったことはなかった。
昔、晩ご飯に魚を焼いてDV親に出した時に
実際にはちゃんと中まで焼けてたんやけど
その時DV親の機嫌が悪くて
他に当たる理由がなかったせいで
「ここが焼けてへん!こんなもん食えるかよ」
と僕の顔の目の前にお皿を突きつけられて
ひどい態度を取られたことがあって、
何となくそれがトラウマというか
できれば料理に深くは関わりたくはない
という気持ちがずっとあったから‥。
だけど、非DV親の大病という
大きな出来事があって、“料理を毎日
限られた食材と調理法で全て手作りする”
という、僕にとって高いハードルが突然
2年半前に目の前に出現して、
料理以外の面でも非DV親の病気以降
それまでとは違うこと、変わったことも
沢山あったし、やっぱり戸惑いも多かった。
不安なことも、数え切れないほどあったし。
非DV親に長く健康でいてほしいから
という願いももちろんあるし、
僕は育った環境にものすごくトラウマや
欠陥がある人間やからせめて
家事など生活に密接したことを人より丁寧に
ちゃんとできる人になろう、
もし僕の育ち方を相手に知られたとしても
「それでもラケなら信じられる」と
思ってもらえるような人になろうという気持ちで
料理も含めてそれまで以上に頑張ってる。
“頑張ってる”なんて
人が認めてくれて初めて頑張りになることで、
自分で言うことではないかもしれないけど。
僕は家族団欒を知らずに育ってきたから、
平凡な話で笑い合えるような
何気ない団欒ができるような家族を
僕は作りたい。
不器用で生き方下手な僕が今
頑張る方向がこれなのかは分からないけど、
苦手やのに‥とか嫌々するよりはいいし
努力する気持ちは忘れずにいたい。
僕はいつも笑顔で生きてる人間やけど、
いつか心から笑えるようになりたい。
**
今年の後半から関わるようになった輪の中で、
僕は優しくしてもらったし
親切にしてもらったし、
一瞬家の悩みを考えなくても済みそうな
楽しい言葉もいっぱいかけてもらった。
でも、その一方で
自分の得になる人と以外は
関わりたくないんやなと思う人がいたり
約束事をなかなか守ろうとしない人がいたり
(するつもりがないなら初めから
無理なこと言わなければいいのにな‥)
バレなければいいと相手が傷つくような嘘を
平気でつく人がいたり
(結局バレて関係性も変わったけど)
あんまり良くない意味で
考えさせられることもあったなと思う。
僕にとって、多くの学びがある場でもあった。
元々すごく人間不信な面があるから
簡単に人は信用しないけど
やっぱり裏表がある人もいるんやなと
実感したのもあるし、
僕個人的に、自分だけのことなら
別にその人さえ良ければいいけど
相手が関わってくることに対して
無責任な人はちょっと親しくするのは
しんどいなと改めて思った出来事もあった。
そして、親切そうな顔して近づいて来る人が
実際にも親切かどうかなんて
すぐに判断したらいけないとも実感した。
自分がされて嫌やったことは
これからも人にはしないでおこうと思ったし、
自分がしてもらって嬉しかったことや
救われたこと、助けられたことは
僕も人にしていきたいなとも思った。
限られた自由な時間の中で、
新しいコミュニティーに飛び込める機会は
僕にはそうそうない。
でも、今年の後半に思いがけず
これまではその輪の中に入ったことが
なかった所に(初めはやむなくやったんやけど)
入ってみたことで、気づけたこともあるし
僕にとって新たな成長に繋がったなと感じる。
親が、僕がそうやって何か新しい場所で
交友関係ができたりするのをあんまり
いいと思わない部分もあるから
ものすごく気を遣ったし、特に非DV親からは
それでも嫌な顔をされることもあったけど、
それを踏まえて考えても沢山勉強になったし
その輪の中で学んだことをこれからに
活かしていけたらいいな。
人には期待しないという前提はあれど、
その上でこの人とは信頼関係を
築いていけそうという人はこれからも
大事にしていけたらと思うし、
本当に仲良くしたいと思える
損得関係なく接してくれる数少ない人と
この人は信用しない方がいいと感じたり
何となく合わないなと感じる人との
保つべき距離感の違いも僕の中で
去年よりも掴めるようになった一年でもあった。
明日から12月なんて早すぎるけど、
毎日があっという間に過ぎていくからこそ
余計に1日ずつを大事にしていきたい。
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