優しさの連鎖
昨日、病院帰りに非DV親が
買ってきてくれたプリン(^q^)
**
昨日、すごく悲しい思いをしてる人がいて、
僕はその人に実は「性格きつそうやな‥」と
ちょっと苦手意識があったんやけど、
僕も前に似たような悲しみを
経験したこともあったし
すごく泣いてるって聞いたから
大丈夫かなと思って、声をかけてみた。
僕が今どんなに声をかけても
その人にとっての悲しみがすぐに
本質的に和らぐわけではないやろうし、
そっとしておく、という選択肢も
優しさの一つやと思う。
でも、今回はその人が
「何でそんなに優しくしてくれるのかと
思うくらい優しいんだね(:_;)
自分もそんな人になりたい。
本当にありがとう」
と言ってくれたし、
そういう経験をした人が
自分だけやないんやなって
少しでも悲しみがましになったなら
僕もちょっとは役に立てたのかなぁと思った。
僕は暴力の中に育ってきたけど、
外の世界ではそんな僕に優しさを
向けてくれる人たちもいた。
小さい時から、そういう人たちの
何気ない言葉や気遣い、
本当は深刻な時でも笑わせてくれるユーモア、
そういう優しさに沢山助けられてきた。
目に見えるような辛さはもちろん、
目に見えない辛さを抱えてる人もいる。
僕も誰かにとって、支えになれるような
言動をできる人でありたいとずっと思ってきた。
その人は何回も「ありがとう」と言ってくれた。
ありがとうと言われるために
優しくするんではないけど、
ありがとうは言われた側もすごく
幸せになれる言葉やと思う。
人から優しくしてもらったから、
心が救われたり元気になったりして
その人だけでなく別の誰かにも
優しくできる。
そしたらその誰かは
また別の誰かにも優しくできる。
立場や金銭状況や肩書きに関係なく、
心の持ち方一つで優しさは示すことができる。
その問題自体はその優しさですぐに
解決するわけではなくても、
自分を気にかけてくれる人がいるとか
心配してくれる人がいると知っただけでも
少し気持ちが楽になる場合もある。
僕は家で暴言も沢山受けてきた。
精神ボロボロになって
それでも人には言えないから笑い続けた。
言葉が刃物になることも
薬になることも、身を持って解ってる。
自分に余裕がない時に
人に優しくするのは難しくもある。
「ラケは優しすぎるよ。
そこまで人に目を向けなくていい」と
言われてしまうこともある。
誰かに優しくすることで
また別の誰かを傷つけてしまったり
特にその“別の誰か”が自分にとって
とてつもなく大切な存在の場合は
その優しさが正しいとは言えない時も
あるかもしれない。
いつでも誰にでも優しくすることが
答えではない時もあるかもしれない。
だけど、基本的には僕は
人には優しくありたいと思う。
その人がもし、僕の想像以上に
しんどくて行き詰まった状況にいても、
せめてその日一日生き延びられるくらいの
温かさをその人の心にあげられる人でいたい。
暴言を吐かれて育ったからといって
自分も人を傷つけて暴言を吐いてても、
DV親と同じような人間になるだけで
そこから苦痛以外何も生まれない。
僕は自分が受けてきたマイナスの言葉を
自分の所でかなぐり捨ててでも
人には優しくできる人でありたい。
優しすぎるバカ正直やったとしても、
少なくとも人に平気で暴力を振るう人よりは
人間としてよっぽどいいと僕は思ってる。
買ってきてくれたプリン(^q^)
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昨日、すごく悲しい思いをしてる人がいて、
僕はその人に実は「性格きつそうやな‥」と
ちょっと苦手意識があったんやけど、
僕も前に似たような悲しみを
経験したこともあったし
すごく泣いてるって聞いたから
大丈夫かなと思って、声をかけてみた。
僕が今どんなに声をかけても
その人にとっての悲しみがすぐに
本質的に和らぐわけではないやろうし、
そっとしておく、という選択肢も
優しさの一つやと思う。
でも、今回はその人が
「何でそんなに優しくしてくれるのかと
思うくらい優しいんだね(:_;)
自分もそんな人になりたい。
本当にありがとう」
と言ってくれたし、
そういう経験をした人が
自分だけやないんやなって
少しでも悲しみがましになったなら
僕もちょっとは役に立てたのかなぁと思った。
僕は暴力の中に育ってきたけど、
外の世界ではそんな僕に優しさを
向けてくれる人たちもいた。
小さい時から、そういう人たちの
何気ない言葉や気遣い、
本当は深刻な時でも笑わせてくれるユーモア、
そういう優しさに沢山助けられてきた。
目に見えるような辛さはもちろん、
目に見えない辛さを抱えてる人もいる。
僕も誰かにとって、支えになれるような
言動をできる人でありたいとずっと思ってきた。
その人は何回も「ありがとう」と言ってくれた。
ありがとうと言われるために
優しくするんではないけど、
ありがとうは言われた側もすごく
幸せになれる言葉やと思う。
人から優しくしてもらったから、
心が救われたり元気になったりして
その人だけでなく別の誰かにも
優しくできる。
そしたらその誰かは
また別の誰かにも優しくできる。
立場や金銭状況や肩書きに関係なく、
心の持ち方一つで優しさは示すことができる。
その問題自体はその優しさですぐに
解決するわけではなくても、
自分を気にかけてくれる人がいるとか
心配してくれる人がいると知っただけでも
少し気持ちが楽になる場合もある。
僕は家で暴言も沢山受けてきた。
精神ボロボロになって
それでも人には言えないから笑い続けた。
言葉が刃物になることも
薬になることも、身を持って解ってる。
自分に余裕がない時に
人に優しくするのは難しくもある。
「ラケは優しすぎるよ。
そこまで人に目を向けなくていい」と
言われてしまうこともある。
誰かに優しくすることで
また別の誰かを傷つけてしまったり
特にその“別の誰か”が自分にとって
とてつもなく大切な存在の場合は
その優しさが正しいとは言えない時も
あるかもしれない。
いつでも誰にでも優しくすることが
答えではない時もあるかもしれない。
だけど、基本的には僕は
人には優しくありたいと思う。
その人がもし、僕の想像以上に
しんどくて行き詰まった状況にいても、
せめてその日一日生き延びられるくらいの
温かさをその人の心にあげられる人でいたい。
暴言を吐かれて育ったからといって
自分も人を傷つけて暴言を吐いてても、
DV親と同じような人間になるだけで
そこから苦痛以外何も生まれない。
僕は自分が受けてきたマイナスの言葉を
自分の所でかなぐり捨ててでも
人には優しくできる人でありたい。
優しすぎるバカ正直やったとしても、
少なくとも人に平気で暴力を振るう人よりは
人間としてよっぽどいいと僕は思ってる。
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