Double Peace :)

機能不全家族育ちの被虐待児。ものすごく元気に見られる心の病気持ち。ずっとスポーツが大好き。夢は健康に笑顔で大切な人と生きること。幸せな家庭育ちだけど見た目や雰囲気や性格や好みは僕と似た、前から知ってる子(ニコ)にこっそり片想い中。DV親からいずれうまく逃げるための手段を色々考えながらも、非DV親が入院・手術して療養し始めてからは家のことにも追われる毎日。
機能不全家族育ちの被虐待児。
ものすごく元気に見られる心の病気持ち。
ずっとスポーツが大好き。
夢は健康に笑顔で大切な人と生きること。

幸せな家庭育ちだけど
見た目や雰囲気や性格や好みは僕と似た、
前から知ってる子(ニコ)にこっそり片想い中。

DV親からいずれうまく逃げるための
手段を色々考えながらも、
非DV親が入院・手術して療養し始めてからは
家のことにも追われる毎日。
\Hello 2023!!/

\Hello 2023!!/

Happy new year*
∩ ∩
(・∀・)

うさぎ年なんやなー。

元気に跳び上がるような一年にしたい。


コロナ禍になってからは
親戚たちと同じ空間の中で
年末年始に顔合わせることはなくなったけど、

非DV親は「元日やから親戚たちに電話する!
何時になったらする?」とずっと言ってて

絶対にある程度の時間話せとか
実質的に強要されるのはしんどいなと思った。


挨拶や礼儀、けじめは大切やとは僕も思うから
親戚にもちゃんと毎年年賀状出してるし、
僕宛てに何かしてもらった時には
必ず自分でお礼を伝えてる。


その上でまだああしろこうしろこれが当然、
とか言われるのはきつい。

皆が皆、非DV親と同じ熱量で
親戚を思ってるわけではないんやから(。-∀-)


うさぎ年の親戚がいて
その人とも電話で喋ったんやけど、

「ぴょんぴょん飛び上がるような
一年にできるように頑張るわー」
と言ってて、ほんまそうよなーって。


非DV親が親戚に出した年賀状も
「可愛かった!あれラケが作ったんやろ?」
って言われた。


そうそう、あれ毎年僕がやってるねんで‥。

褒められるのは嬉しいけど、
そうやって言ってもらったら
「ほら!親戚も喜んでるやん♪来年も頼むね!!」
になるんよなぁ‥(;△;)


親戚と電話で結構長く話すのは
僕にとっては結構苦痛なんやけど、

親戚の一人が
「心も体も元気でおるって難しいし、
何か全部がバラバラになって
苦しいなと思う時がある」
と言ってて、そうやなーって納得したり。

**

羽生結弦選手のカメラマンの人が
出てる番組を少し見た。


それで思い出したんやけど、
僕は小学生の頃、当時好きやった選手の
スポーツ雑誌の切り抜きをずっと
名札の裏に入れてたんよなあ。


僕は親の都合で転校が多くて、
小学校時代もすごく郊外に住んでた時もあって
なかなかスポーツを応援に行けるような
場所ではなかったし、それに加えて

家の環境的にも、僕が好きなことや
趣味に関して決して理解を示してくれる
状態ではなかったから、お金を貯めては
スポーツ関係の雑誌を買って、

それもあんまり沢山は家に置いとけないから
どうしても必要なページだけ保存したり
その好きな選手の部分だけを切り抜いて
缶や箱に入れてこっそり置いといたりしてた。


DV親は色々自由気ままにやってたけど、
子どもに自由を与えるのは反対という
親やったから、ある程度大きくなってからも
ネット環境も家にはなかったし、

名札に切り抜きは小学生までやったけど
中学以降もそのスポーツ関係で
憧れの場所の写真を生徒手帳に入れて

転校先で孤独を感じる度に
それを見て自分を奮い立たせてた。



スポーツカメラマンって、現地で試合を
見られないような状況にある人たちと
その競技を繋げる立場でもあると思う。


どんな仕事もそれぞれ立派なんやけど、
スポーツカメラマンって
その写真そのもの自体にももちろん
大きい価値があるだけやなくて、

その写真を見て、たとえ試合には
応援に行けなくてもその選手のプレー
(フィギュアスケートやと演技か)を
その写真で思い出したり
現地の雰囲気を想像したりもできるから、

そういう人の心を支えたり
励ませる尊い職業やなと感じる。


僕は、子どもの時から
なかなか自由に好きなことを楽しめる
環境の中で育てなかったから、

あれをやってみたいとか
どこそこに行ってみたいとか
そういうのがさっと実現するような
子どもばっかりではないのをよく分かってる。


スポーツだけやなく何でもそうやけど
そういうなかなか自由に行けない子の
支えになるような立場にある人のことを
すごく有り難く思うし、感謝もするんよな。


子どもだけやなくて
大人になってもそうそう自由には
なれない人もいる。


「趣味を楽しみたいならお金を稼いで
そのお金で自由になればいい」とか

「じっと待ってるだけで
あれこれ叶えようと思うのは甘い、
皆努力して楽しんでる」と言う人もいるけど、

お金とか努力とかの話ではなく
立場や状況的にどうしても
自分の望みを通せない人たちだっている。


その人が知らないだけで、世の中には
そういう世界だってある。

それを知らずに生きてこれて
なおかつ人にそういう厳しいことを言えるのは
その人が恵まれてるってことなんやと思う。


僕が小学生時代に名札の裏に入れてた
切り抜きの写真を撮ったカメラマンも
いるんやなと思うと、改めて感謝したくなった。

**

社会的地位がない人に対しては
ちょっと冷たい態度を取る選手がいて
そういうところは僕は少し苦手なんやけど、

僕の身近な選手と一緒に
プレーしたことがある選手やから
契約更新も満了も何の音沙汰もないなと
何となく気になってた。


そしたら、たぶん何らかの肩書きがある
その選手の知り合いがネットに

「〇〇選手は競技を辞めて
△△の道に進むことになりましたが、
これからもずっと応援しています!」

と、まだ正式には何の発表もないのに
それを分かっててフライングで書いてて

何かそういうの嫌やなーと思ってしまった。


知り合いなら事前に
「実は競技を辞めて次の道に行く」とか
聞くこともそりゃあるやろうけど、

それをわざわざ何でもかんでもネット上に
書くのはただの自己満足やし

そうやって先に書いてしまうことによって
選手の評価や価値を下げる可能性も
あるのになぁとも思った。


その選手は、肩書きがある知り合いなら
そういう常識や配慮がなくても
平気で親しくできる人なんやろうなー。


僕の場合は、その選手が特別
応援してる選手ではなかったから
それくらいしかまだ感じないけど、

もしすごく応援してる選手やったとしたら
そういう形で引退を知りたくないな、

ちゃんとそれまで所属してたチームの
サイトのコメントとかでその選手の
今の気持ちを知りたいなと思った。


いくらネットが発達してても
そういうけじめは大事やと思うし、
僕個人的にそういうことを曖昧にする人は
あんまり応援したくないかな‥。



僕がずっと長く応援してた選手は
数年前に引退した。

決して有名とか目立つとかではなかったけど、
本当に引退に関して
よっぽど信頼できる人以外には全く
事前には話してなかったみたいで

公式サイトで引退のリリースがあるまで
一般の応援してる人たちは全く知らなかった。

そして、そのチームのサイトに書かれた
本人の引退についてのコメントも
誠実そのものやった。


誰を特に応援してるのか聞かれて
僕がその選手の名前を出すと
「それ誰?」と笑われることも正直あった。

それでも、僕はその選手を長く
応援してきたのを今でも誇りに思ってる。


ネット時代で考え方も多様化して、
僕みたいに思う人は「年齢のわりに頭が固い」
とか思われるのかもしれないけど、

ネットとか今の時代とかを理由に
そういうけじめを大事にしない人を
僕はやっぱり好きにはなれないな、と感じる。

**

昨日の夜はいつもより遅くまで起きてたけど、
今日の朝はここ数年ではなかったくらい
ゆっくり寝れて、本当に嬉しかった\(^o^)/


落ち着いて何時間もベッドの中で
まったりできるんってほんま幸せやん♪


今年は安心して穏やかに
無理せず心から笑って暮らせる年にする!!

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