Double Peace :)

機能不全家族育ちの被虐待児。ものすごく元気に見られる心の病気持ち。ずっとスポーツが大好き。夢は健康に笑顔で大切な人と生きること。幸せな家庭育ちだけど見た目や雰囲気や性格や好みは僕と似た、前から知ってる子(ニコ)にこっそり片想い中。DV親からいずれうまく逃げるための手段を色々考えながらも、非DV親が入院・手術して療養し始めてからは家のことにも追われる毎日。
機能不全家族育ちの被虐待児。
ものすごく元気に見られる心の病気持ち。
ずっとスポーツが大好き。
夢は健康に笑顔で大切な人と生きること。

幸せな家庭育ちだけど
見た目や雰囲気や性格や好みは僕と似た、
前から知ってる子(ニコ)にこっそり片想い中。

DV親からいずれうまく逃げるための
手段を色々考えながらも、
非DV親が入院・手術して療養し始めてからは
家のことにも追われる毎日。
感謝する≠思い通りに生きる

感謝する≠思い通りに生きる

「親戚へのプレゼントを買いたい」という
非DV親の希望で、その親戚が使いそうな物を
売ってそうな所に買いに行ってきた。


僕にとっては、早朝の仕事とその後の仕事の
合間に行ってきたから、時間的にあんまり
余裕なくて、帰ってきてすぐまた仕事で
まあまあ疲れた_(⌒(_´-ω-)_


親戚へのプレゼントは
僕は口出しせずに非DV親が
あれでもないこれでもないと選ぶのを
黙ってついて見て回ってただけやけど。


非DV親が気に入った帽子があって
それも買ったんやけど、

僕が買ったのは生活感溢れる保存容器
(でもこの形状のやつ洗いやすいし
使いやすいからオススメなんよなぁ◎)と
好みのロゴが入った梱包テープ(笑)


多めに料理作って小分けに冷凍しておけば
時間ない時にかなり助かるから、
こういう冷凍庫の小さいスペースに収まる
保存容器はほんまに便利(。・ω・)b



「何年も前の話やけど、〇〇(DV親)が
色んな借金重ねて大変やった時に
本当はもっと高価なプレゼントを親戚に
したかったけど金銭的にできなくて
申し訳なかった気持ちが今も心にある」

と突然、非DV親が言ってたけど、

異性関係で借金を重ねるの自体
大きな問題なのは大前提として
借金うんぬんは一旦置いといて

その人がその時にできる範囲の金額で
プレゼントって選べばいいと思うんよなぁ。


どう考えても失礼になる品物はもちろん
避けないといけないやろうけど、

絶対にいくら以上やないと嫌とか
金額に翻弄されてるのはしんどいなって。


今回のプレゼントも無事に買えて良かった。

非DV親が楽しそうに選んでたのは
何かホッとしたかな。

**

小さい頃から、どっちの親も
「親は絶対的な存在」という態度で
僕に接してきてた。


DV親の場合はもう、分かりやすく
暴力や暴言で服従させるやり方。

僕がそんなDV親に疑問を持ち始めてからも
「自分の言いなりになれ」
「それができないならいつでも見捨てるぞ」
「自分の思い通りにならないなら消えろ」
という態度は一切変わらなかった。

そして
「子どもの立場で外に放り出されてみろ、
たった1日も生きていけないくせに。
生活できてるのは誰のお陰?
常に感謝して言いなりになれよ」
というような要求をずっとされてきた。


事実、子どもというのは弱い立場で
暴力的な家庭に身を置いてて
それがおかしいと気づいてても
その日を生き延びるためにただひたすら
息を殺して自分を抑えつけて
我慢しないといけない状況になる。



非DV親は、DV親に比べて
直接的な暴力は昔もなかったし、
暴言も勉強や習い事に関して以外では
吐かれた記憶はない。

ただ、DV親との共通項として

「親の言うことと要求は絶対」
「子どもは常に親に感謝するべき」
「親の言うことは全て正しくて当然」

という徹底した考えは
小さい時から植え付けられてきた。


小さい時はもちろん、思春期になっても
僕は反抗的な言葉の一つも言えないくらい
親に怯えて、常に親の機嫌をうかがって

親が認めるレベル以上の優等生でいないと
趣味も全面的に禁止やったから
将来のためではなく

最低限自分らしく生きるための手段として
日々勉強を頑張ってた。



大人になってからも
僕が心の病気になって
情けないことに思ったよりそれが長引いて
そうではない人よりは色んな状況が
自由にはならないから余計にそうなるのか

「親に感謝するのは当然」
「親が反対することは諦めて当たり前」

という折に触れてのアピールがすごい;



僕は家の問題で苦労して育ってきたけど、

現実を考えればDV親と非DV親がいたから
生まれてきて楽しいことや嬉しいことも
確かにあったし、ニコとも出会えたし、

心の病気になってからは
生まれてきて良かったともなかなか
言い切れない現状はあるんやけど

感謝しないといけない面も
あるのかなとは思ってる。


だけど感謝って、した側が
「これをしてあげました!
どうぞ感謝してください!」と
要求するものなのかな?という気はするし、

こういう家庭に育っても
感謝するべき部分では感謝して
反抗的な態度も一切取ってないのに

それを当たり前のように

「そりゃ親は絶対的な存在やから。
子どもなんか成人したって一生
親に意見なんてできるわけがない」

という考えをされるのはしんどいな(¯―¯٥)



それに、親に感謝することと
親の言いなりになって自分を押し殺して
進みたい未来を我慢して生きることは
決してイコールではないと僕は思う。


感謝しろ、
感謝してるなら全て親の思い通りに生きろ、

というのは常にプレッシャーを感じてしまう。

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