Double Peace :)

機能不全家族育ちの被虐待児。ものすごく元気に見られる心の病気持ち。ずっとスポーツが大好き。夢は健康に笑顔で大切な人と生きること。幸せな家庭育ちだけど見た目や雰囲気や性格や好みは僕と似た、前から知ってる子(ニコ)にこっそり片想い中。DV親からいずれうまく逃げるための手段を色々考えながらも、非DV親が入院・手術して療養し始めてからは家のことにも追われる毎日。
機能不全家族育ちの被虐待児。
ものすごく元気に見られる心の病気持ち。
ずっとスポーツが大好き。
夢は健康に笑顔で大切な人と生きること。

幸せな家庭育ちだけど
見た目や雰囲気や性格や好みは僕と似た、
前から知ってる子(ニコ)にこっそり片想い中。

DV親からいずれうまく逃げるための
手段を色々考えながらも、
非DV親が入院・手術して療養し始めてからは
家のことにも追われる毎日。
選んでなくても現実はある

選んでなくても現実はある

DV親はネグレクトされて
愛情をかけて育てられずに放置されてたのに、

主に年下のきょうだいのために
金銭的に援助しろと無理な要求をされ続けて
ずいぶん前に親きょうだいとの
縁を切ったんやけど、

そのきょうだいから今日突然
DV親に連絡があった。


連絡先を知らないはずやのに
何で知ってるのかと思ったら、

重要な連絡をしたいからと
そのきょうだいが住んでる町の役所に
具体的に事情を話して
DV親の情報を開示してもらったらしい。


僕が普段、毒親から逃げる方法を調べてると
ほとんど必ず出てくる

「住民票の閲覧制限を必ずかけること」

というのは、こういう時に身内でも住民票の
情報を知られないようにするための
方法やったんやなと改めて分かった。


DV親は、親から沢山のひどいことも
言われて育ってきて、

それでも散々きょうだいへの援助もして
「悪いけどこれ以上は自分の生活も
あるから手助けはできない」と
言ったことに対して親に

「助けてくれへんのやったら
もう〇〇(DV親)は自分の子やないから。

こっちのことも親と思わんとってくれ」

と言われたらしくてその後もうずっと
全く関わりなく過ごしてきたんやけど、

いくら“縁を切ってる状態”
“どこに住んでるのかさえ分からない状態”
やったとしても、事情によっては

役所であっさり今の居場所を
知られてしまうんやなと怖く思った。



内容が内容だけに個人の特定を防ぐために
具体的な内容は書けないけど、

決まった公共の場所でDV親本人が
しないといけない手続きがあって

そのために今日DV親が役場に行って
詳しく聞いてこようとしたら
「いきなり来られても対応できない」と
関係者に言われたみたいで

不機嫌に何やかんや荒れてて
家族も他のことはできない状況;

(何をするにもDV親の機嫌を必死にとりながら
安全を確認した上で隠れてする感じ)



DV親が僕に対しても同じように
適切な子育てをせずに暴力を振るったり
脅迫したりしてきたところは大嫌いやけど

(ネグレクトと暴力はまた違うけど
虐待してるという広い意味では共通してる)

“自分の責任ではないことに振り回されてる”
“自分が選択したことではないのに苦しんでる”

という面においては、辛さがよく解る。



DV親は人格障がいと発達障がい持ちやけど、
もしかしたらそういうネグレクト家庭に
育ってなければまた違う人物に
なってたかもしれないとも思う。

(僕はDV親以外には身近に
人格障がいや発達障がいの人と
普段から深く関わってはないので、

あくまでもそうかもしれないなと
僕が考えてるだけで確かではない)


自分の責任において選択した先で
何か困ったことがあったとしても

もちろん突き放すばっかりではなく
助けの手は差し伸べることが必要な場合も
あるとは思ってるけど、

どんな親から生まれるかとか
どんな家庭で育つかというのは

本人には決められないし
選択の余地もないんやから

更にその本人には責任がないことやと思う。



DV親は僕にとって
暴力親で暴言親で脅迫親で
借金はするし不倫は繰り返すし
まあ他にも多々色々あって

とんでもない親で正直憎しみの対象やけど、

育った家に関しては
DV親もDV親のきょうだいたちも
完全に被害者よな。



僕は、小さい頃にもう
DV親の側の方の身内とは会わなくなった。


だから、DV親の身内のことでは
断片的なほんの少しの記憶しかなくて、

DV親の父親はまだその中ではまともで
公園みたいな所に連れて行ってもらったり

DV親の弟が寝転んでゲームしてて
「ラケもやるか?」って貸してくれたり、

こう書いたら別に普通の家やんと
思われるかもしれないけど

ものすごく雰囲気が暗い家で
玄関入った瞬間からもう逃げ出したかった。


あと、何より覚えてるのが
DV親の母親が全てのことに対して
文句言って突っかかって否定してたこと。


DV親がいつも何かにつけ否定的で
とりあえず批判しないと呼吸できひんの?と
思うくらいに何でも文句言うのは

あの母親にそっくりよなと今でも思う。


僕はその連鎖を断ち切りたくて、
小さい時から周りの人のいいところを見つけて
自分にも取り入れたり参考にしようと
いつも考えてきたけど。


DV親のきょうだいからの手紙に
一体何を言ってきたんやろと
すごく怖い気持ちになったけど、

「ラケも読んだら?」と非DV親に言われて
目を通したら、DV親のきょうだいが

めちゃくちゃかしこまった文章の中で
1ヶ所だけDV親に親しげに呼びかけてて

この人にとっては、僕にとって暴力親でも
きょうだいなんよなって

どんなに年齢的には大人やったとしても
縁切って会ってないにしても
血縁は戸籍や役場の書類上では
簡単に切れるもんではないんやなって

本当に複雑な気持ちになった。



今の世の中、少子化がどうとか
すごく言われてるけど、

子どもの数が増えたとしても

その後虐待で命を落とす子や
幸せではない辛い環境で育って
それを抱えて人生を生きていく子

自分の生まれてきた環境や血縁、
状況に悲観して自ら命を終わらせる子が

沢山いたら、それは解決とは言えないと思う。


複雑な家庭で育つということは
本人には責任のない不幸を
理不尽に背負わせるということ。


僕は自分の親が安易に結婚したとか
子どもをもうけたとは思いたくない
(実際にはDV親は安易やったと思うけど)。

でも、安易でも何にしても事実として
親は子どもに対して責任がある。


子どもにとって親は選べなくても、

選んでもないことに関してでも
容赦なく面倒なことを突きつけられるんやから。


DV親が不機嫌に大声で怒りをぶちまけて
荒れてる時はいつも呆れて
黙ってその時が過ぎるのを待つんやけど、

今日は何か色んなことを考えてしまった。


自分の親はとんでもなくて
でも非DV親と一緒になったら
おそらく平均値よりかなり
親戚関係が密な家で、

そこに関しては結構辛いよな、DV親も。


これまで散々傷つけられてきて
同情したり優しさを見せてる場合ちゃうけど。



何日分もの疲れを感じるくらい
色々と考えさせられる一日。


阪神淡路大震災から今日で28年。

ライフラインが使えて、天災もない一日は
本当は手を合わせないといけないくらい
特別で有り難い日なんやと思う。

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