この世を生き抜く難しさ
少し前に見た飛び出し坊や(・∀・)
これ、滋賀が発祥らしい。
**
リビングの端っこに置いてある
袋に入ってた物をDV親が全部落とした。
気にはなったけど、その時僕は
別のことをしてたからあとで拾おうと思って
すぐには元に戻せなかった。
そしたら、それを見たDV親が
「落ちてても無視かよ」って。
いや、落としたんDV親やろ?って
僕としてはものすごく不可解やった。
DV親が家族に対して
いつでも何でもどんなに理不尽でも
黙ってどんなことでもして当たり前
という気持ちがあるから、
そういう言い方になるんやろうなと思う。
僕が落とした物をずっと放置してたなら
注意されても仕方ないけど、
DV親が落とした物を
僕が瞬時に拾うのが当たり前?
どれだけあんたは偉いねん、って。
言えないけど、親に対してでも思うよね‥;
そういえば、家以外でも似たようなことが
前にあったなーと思い出したけど。
バイト先で、オープン前に掃除してたら
その日一緒にシフトに入ってた上司が
大きい観葉植物を鉢ごと倒してしまって。
僕は違う場所の掃除してたから
音で振り返ったらその植物が倒れてた。
そしたら、その上司が
「お前、それさっさと片付けろよ!!」って
いっぱいこぼれた土を視線で示しながら
僕に怒鳴りつけてきた。
いや、それ倒したんお前やろ!って
それこそ言えないけど心では当然思った。
他にも「自分より下っ端なんだから、
時給は発生しないけど1時間前に来て
仕事するのが当たり前」とか言われたな。
理不尽なことには小さい時から慣れてる僕でも
外の世界にもここまでおかしい人が
いるんやなと改めて思ったんやけど、
その上司が忘れ物をした日に
上司の家族が届けに来て僕が応対したら
その上司の家族はびっくりするくらい
謙虚で物腰の柔らかい人で。
上司の家族
「いつも家の者がお世話になってます」
ラケ
「こちらこそ、いつも色々とご指導いただいて
お世話になっております」
上司の家族
「きっとラケさんにも失礼なことを
沢山してしまってると思います。
申し訳ありません」
ラケ
「(はい!沢山されてます!と思いつつ)
いえいえ、そんなことないです」
上司の家族
「いや、絶対に迷惑をかけてると思います。
本当にごめんなさい」
そんな会話を入り口でしたんよなー‥。
あー、この人も家で苦労してるんやな、
ってめちゃくちゃ心の中で
握手したいくらい共感した。
というずいぶん前の出来事を思い出した。
**
DV親、仕事の都合で
来月、再来月とめちゃくちゃ僕と
顔を合わせる時間帯が長い。
長いなんてもんやないほど長過ぎる(゚Д゚)
その時間帯にわざと僕が少しでも
家を留守にするようにすれば
顔を合わせる時間は少なくなるけど、
そうすると自室の物をあれこれ見られたり
置いてある物を調べられたり
何か持ち出される可能性もあるから
それもあんまりできないんよなあ(´;ω;`)
早朝の仕事や夕方からのハードな仕事が
前より少ないのは本当に嬉しいんやけど、
じゃあその時間帯に体を休められるか
自分の好きなことをできるか
というとそうではないのが何とも言えない‥。
僕に対してだけやなくて政治家とか
有名人に対してのものもあるけど、
暴言が飛び交う中でどうやって
心を休めればいいんやろう。
**
人は、自分より恵まれてない状況の人には
優しい目を向けられても、
自分がなかなかできないことを楽しめたり
欲しいもの(こと)を得てる人に対しては
批判や文句を言ってしまいがちらしい。
人によっても違うやろうし、
その人と自分の関係性や
相手の人柄にもよるような気もするから
皆が皆、そうやとは思わないけど、
傾向としてはあるのかな?と思う。
自分がなかなか叶えられてないことを
もう実現させてるのにそれでもまだ
あれこれ不満を言ってる人を見ると
心の中では「まずそこに感謝しようや‥」
と正直思ってしまうし、
僕が一回気分転換の機会を作るためには
毎日の生活の全てに気を遣って
最低限の時間だけやっと実現する
という状況でも、そこまでの苦労なしに
年に何十回とか楽しんでる人が
毎回自慢気に報告してきたりすると
僕はそうそう好きなことを自由に
楽しめないのに毎回悲しくなるなぁ
とも思ってしまうのも本音。
嬉しさや感動をありのままに
伝えるのは素晴らしいことではあるし、
人に気を遣いすぎてたら
思ったことも何も言えなくなる
というのは確かにあるやろうけど、
望んでも現状そういう楽しみを持てない人に
毎回自慢(のつもりではなくても
そう取られてもやむを得ないような言い方)を
するのはちょっと悲しいことかなとも感じる。
それでも、もちろん
その人への誹謗中傷はダメやし、
批判や文句を言ったところで
自分の現状が変わるわけでもない。
たとえ嫌な気持ちになったからって
相手にも嫌なことをしようというのは違う。
その一方で、僕がいつか
今の僕がどうしても
手に入れたい夢や目標を叶えて
毎日不安にさいなまれて生きなくてもいい
状態になれたとしても、
世の中には本当に苦しい中で生きてる人、
行き詰まって安心がない中にいる人たちも
いるというのは忘れないでいようと思う。
弱い立場、苦しい立場、辛い立場を
知って生きてきた人はきっと
相手の気持ちに立つことができる人。
僕は暴力のある家庭に育ってきて、
世の中には本当に周りからは見えなくても
苦しいことが沢山あるのを知ってるから、
余計にそう思う。
いくら気をつけても、全員に対して
全く嫌な思いを与えない振る舞いをする
というのは難しいことではあるけど、
今とは違う立場で生きていけるようになっても
その時の僕とは違うしんどい環境で
過ごしてる人たちの側の思いにも
配慮できる人間でありたい。
これ、滋賀が発祥らしい。
**
リビングの端っこに置いてある
袋に入ってた物をDV親が全部落とした。
気にはなったけど、その時僕は
別のことをしてたからあとで拾おうと思って
すぐには元に戻せなかった。
そしたら、それを見たDV親が
「落ちてても無視かよ」って。
いや、落としたんDV親やろ?って
僕としてはものすごく不可解やった。
DV親が家族に対して
いつでも何でもどんなに理不尽でも
黙ってどんなことでもして当たり前
という気持ちがあるから、
そういう言い方になるんやろうなと思う。
僕が落とした物をずっと放置してたなら
注意されても仕方ないけど、
DV親が落とした物を
僕が瞬時に拾うのが当たり前?
どれだけあんたは偉いねん、って。
言えないけど、親に対してでも思うよね‥;
そういえば、家以外でも似たようなことが
前にあったなーと思い出したけど。
バイト先で、オープン前に掃除してたら
その日一緒にシフトに入ってた上司が
大きい観葉植物を鉢ごと倒してしまって。
僕は違う場所の掃除してたから
音で振り返ったらその植物が倒れてた。
そしたら、その上司が
「お前、それさっさと片付けろよ!!」って
いっぱいこぼれた土を視線で示しながら
僕に怒鳴りつけてきた。
いや、それ倒したんお前やろ!って
それこそ言えないけど心では当然思った。
他にも「自分より下っ端なんだから、
時給は発生しないけど1時間前に来て
仕事するのが当たり前」とか言われたな。
理不尽なことには小さい時から慣れてる僕でも
外の世界にもここまでおかしい人が
いるんやなと改めて思ったんやけど、
その上司が忘れ物をした日に
上司の家族が届けに来て僕が応対したら
その上司の家族はびっくりするくらい
謙虚で物腰の柔らかい人で。
上司の家族
「いつも家の者がお世話になってます」
ラケ
「こちらこそ、いつも色々とご指導いただいて
お世話になっております」
上司の家族
「きっとラケさんにも失礼なことを
沢山してしまってると思います。
申し訳ありません」
ラケ
「(はい!沢山されてます!と思いつつ)
いえいえ、そんなことないです」
上司の家族
「いや、絶対に迷惑をかけてると思います。
本当にごめんなさい」
そんな会話を入り口でしたんよなー‥。
あー、この人も家で苦労してるんやな、
ってめちゃくちゃ心の中で
握手したいくらい共感した。
というずいぶん前の出来事を思い出した。
**
DV親、仕事の都合で
来月、再来月とめちゃくちゃ僕と
顔を合わせる時間帯が長い。
長いなんてもんやないほど長過ぎる(゚Д゚)
その時間帯にわざと僕が少しでも
家を留守にするようにすれば
顔を合わせる時間は少なくなるけど、
そうすると自室の物をあれこれ見られたり
置いてある物を調べられたり
何か持ち出される可能性もあるから
それもあんまりできないんよなあ(´;ω;`)
早朝の仕事や夕方からのハードな仕事が
前より少ないのは本当に嬉しいんやけど、
じゃあその時間帯に体を休められるか
自分の好きなことをできるか
というとそうではないのが何とも言えない‥。
僕に対してだけやなくて政治家とか
有名人に対してのものもあるけど、
暴言が飛び交う中でどうやって
心を休めればいいんやろう。
**
人は、自分より恵まれてない状況の人には
優しい目を向けられても、
自分がなかなかできないことを楽しめたり
欲しいもの(こと)を得てる人に対しては
批判や文句を言ってしまいがちらしい。
人によっても違うやろうし、
その人と自分の関係性や
相手の人柄にもよるような気もするから
皆が皆、そうやとは思わないけど、
傾向としてはあるのかな?と思う。
自分がなかなか叶えられてないことを
もう実現させてるのにそれでもまだ
あれこれ不満を言ってる人を見ると
心の中では「まずそこに感謝しようや‥」
と正直思ってしまうし、
僕が一回気分転換の機会を作るためには
毎日の生活の全てに気を遣って
最低限の時間だけやっと実現する
という状況でも、そこまでの苦労なしに
年に何十回とか楽しんでる人が
毎回自慢気に報告してきたりすると
僕はそうそう好きなことを自由に
楽しめないのに毎回悲しくなるなぁ
とも思ってしまうのも本音。
嬉しさや感動をありのままに
伝えるのは素晴らしいことではあるし、
人に気を遣いすぎてたら
思ったことも何も言えなくなる
というのは確かにあるやろうけど、
望んでも現状そういう楽しみを持てない人に
毎回自慢(のつもりではなくても
そう取られてもやむを得ないような言い方)を
するのはちょっと悲しいことかなとも感じる。
それでも、もちろん
その人への誹謗中傷はダメやし、
批判や文句を言ったところで
自分の現状が変わるわけでもない。
たとえ嫌な気持ちになったからって
相手にも嫌なことをしようというのは違う。
その一方で、僕がいつか
今の僕がどうしても
手に入れたい夢や目標を叶えて
毎日不安にさいなまれて生きなくてもいい
状態になれたとしても、
世の中には本当に苦しい中で生きてる人、
行き詰まって安心がない中にいる人たちも
いるというのは忘れないでいようと思う。
弱い立場、苦しい立場、辛い立場を
知って生きてきた人はきっと
相手の気持ちに立つことができる人。
僕は暴力のある家庭に育ってきて、
世の中には本当に周りからは見えなくても
苦しいことが沢山あるのを知ってるから、
余計にそう思う。
いくら気をつけても、全員に対して
全く嫌な思いを与えない振る舞いをする
というのは難しいことではあるけど、
今とは違う立場で生きていけるようになっても
その時の僕とは違うしんどい環境で
過ごしてる人たちの側の思いにも
配慮できる人間でありたい。
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