Double Peace :)

機能不全家族育ちの被虐待児。ものすごく元気に見られる心の病気持ち。ずっとスポーツが大好き。夢は健康に笑顔で大切な人と生きること。幸せな家庭育ちだけど見た目や雰囲気や性格や好みは僕と似た、前から知ってる子(ニコ)にこっそり片想い中。DV親からいずれうまく逃げるための手段を色々考えながらも、非DV親が入院・手術して療養し始めてからは家のことにも追われる毎日。
機能不全家族育ちの被虐待児。
ものすごく元気に見られる心の病気持ち。
ずっとスポーツが大好き。
夢は健康に笑顔で大切な人と生きること。

幸せな家庭育ちだけど
見た目や雰囲気や性格や好みは僕と似た、
前から知ってる子(ニコ)にこっそり片想い中。

DV親からいずれうまく逃げるための
手段を色々考えながらも、
非DV親が入院・手術して療養し始めてからは
家のことにも追われる毎日。
近所とはいえ大冒険

近所とはいえ大冒険

どうしても気になることがあって、
今日は仕事のスケジュール的には
DV親の行動にさえ合わせれば
何とかなりそうな気がしたから、

仕事の合間にちょっとだけ電車に乗って
すごく短時間だけその用事に行ってきた。


DV親が出かけてる所とほぼ同じ場所への
用事やったから、もし万が一その場で
会ってしまったらやばいなと思って
ギリギリまで迷ったんやけど、

僕の中でそのことがすっきりしないと
落ち着かないなと思ったから
すきを見て行くことにした。


今までならこういう時、
その用事が僕にとって大事やったとしても
何も悪いことをしてないにしても

DV親ともし会ってしまったら?と考えたら
間違いなく行くのを諦めてたと思う。


だけど、自分の行動一つでできることなら
なるべくそれを実現していこうと
前より思うようになった僕は、

昨日の夕方辺りから少しずつ
計画を立てて実行することにした。


空いた時間に電車でちょっと出かけるだけに
何でこんなに大げさなん?と思われると思う。

それでも、僕にとっては昔からそれが現実;


明日からの家の用事の準備をしながら
自室で電車の時刻表を調べて
どんなふうに抜け出すか考えて

スマホの電池の減りが早い気がするから
なるべくスマホを使わないように
乗れそうな時間帯の行き帰りの電車の
時刻を書いたメモを用意。


今日の服装もできる限り地味にして、
駅とかでも目立たないように気をつけた。


DV親と鉢合わせする危険性を減らせるように、
それに合わせて仕事の空き時間の
タイミングをはかってた。


徒歩圏内の用事に行くということにして、
最低限の時間のみ近隣駅にいるようにして
急いで帰ってきたら、全然大丈夫やった◎


そして、その気になってた用事も
全く心配するようなものでもなくて
それも本当に良かったなと思ったε-(´∀`*)


明日から数日間、家の用事で
変則的なスケジュールなんやけど、

その前に僕が気になってたことが
解決しててほんま助かった!!

**

僕が普段関わってたり
輪の中に入ってるような世界は
そんなにメジャーで広いものではないと
思ってるんやけど

(だからこそあんまり詳しくは
こういう場にも書かないように
一応気をつけてる‥笑)

たぶんすごく有名すぎたらダメで
身近な人を追いかけてたい子が
その決して広くない世界の中で
“推し”を作ってて、

僕は芸能人以外の誰かに対しての応援を
“推し”という言葉で全てまとめることには
個人的にはちょっと違和感があるんやけど

その子は結構熱心に“推してた”みたい。



僕の直接の知り合いや友達ではないけど、
何をおいても命がけで無我夢中で
人の目も何も気にせずに推すというのは
僕にはできないな、
こういう人もいるんやな、って。


同じ人を応援してる人には
睨みつけて敵対心丸出しで牙をむくような
そういう子やった。

とにかくあらゆる手段を使ってでも
“推しの一番でいたい”と思うような。


でも、最近になって

「これまでずっと必死にお金かけてきたけど、
あれって何だったんだろ。
これまで集めてきた物も沢山あるけど、
売りたいから誰か買ってくれないかな?

自分はこれだけ頑張ってきたのに報われない。
自分の思い通りにならないなら、もういいや」

と周りに言って回ってて、

全てを懸けるほどの熱量があればあるほど
長くそれを維持するのは難しいのかなって

色々大変やなと思った。



僕の知り合いに、10年くらい前まで
特定の物に夢中になってた人がいる。


比較的趣味に自由に動ける状態で
生活の多くを自分の趣味のために使ってて、

その趣味関係の人たちとも
日常的に交流できたり羨ましく思ってた。


一緒にご飯食べてた時も
僕が心のどこかでは家のことや時間を
気にしてる中で、ずっと楽しそうに趣味の
話をしてて、いいなーと感じたりしてた。


でも、ある時、僕からしてみたら
それでもめちゃくちゃ恵まれてるよ!と
思うんやけどその人にとっては前よりは
ほんの少し、趣味に対しての制約ができた時に

「100%思うようにできないならやめた!」
って感じでさっとその世界から離れてしまった。


元々何をするにも制約が大きい僕にとっては
その知り合いみたいな感覚やと
何にも興味は持てないことになってしまうから、

「あまりにも恵まれた状況を経験すると
もっとこうしたい!もっとこうなりたい!
って気持ちが加速して欲が出てしまって、

その結果幸せな気持ちで趣味を
楽しむのは難しくなってしまうんかな‥」

と残念に思ってしまったことがある。


もちろん、その知り合いがその趣味から
離れるか離れないかはその知り合いの自由やし、

人生の中で、毎日の中で、何を支えにして
何に重きを置いて生きるかもその人の勝手。


それでも、それまではその趣味のことを
楽しそうにいつも語ってた人が
突然(本人にとっては突然ではないのかも)
糸が切れたみたいに違う人間のように
なってしまったのは、僕には衝撃やった。


何かを好きになったり、極めたいと思ったら、
そのことへの制約はできれば少ないに
越したことはない、とは思うけど、

何でも自由なのが当たり前になって
知らず知らずのうちにもっともっとと
無理なことも当たり前に求めるようになって

少しでも思い通りにならなかったり
自分の気持ちが相手に届いてないとなると

0か100思考かのように「じゃあもういいや」
というのは幸せとは言えない気がするな(:_;)


何かや誰かを応援することで
生活にメリハリがついたり
元気に前向きに頑張ろうと思えたり

それってすごくいいことやと思うけど、

どんな手を使ってでも
自分の望むようにその人を推す

しつこくして迷惑をかけようが
好きなんやから自由

推し以外のことなんてどうでもいい

になった結果、燃え尽きて虚しい気持ちしか
残らないというのは、寂しいなぁと感じる。


心に何か空洞があっても
推しに限らず何か趣味があれば
多少は満たされたり埋まるかもしれないけど

最終的には自分で満たしたり
埋めたりするもので、

“人に〜してもらって当たり前”
“お金の力で自分の欲望を果たしたい”

という思考になると破滅してしまうのかも?
と考えてしまった(゜゜)



有名無名とか、推しとかもっと身近な誰かとか
どういう世界とかどういう分野とか
そういう問題ではなくて、

自戒をこめて僕も気をつけようと思う。


間接的に誰かが助けてくれることはあっても、
自分の心の寂しさを一方的に誰かに
埋めてもらおうなんて、思わないようにしよう。


自分は生きててもいいとか
自分には存在価値があるとか
自分は自分でまあそれなりにええやんとか

そう思えるようになる手段は
自分がそういう人間になれるように日々を
コツコツ生き抜く以外にはないような気がする。


僕も本当はめちゃくちゃすがりたいよ。

ニコにもそうやし、趣味とかにも。

これまでの孤独とか寂しさとか全部
忘れられるくらい、目で見て分かるような
はっきりした温もりが欲しいと思う時もある。


だけど、一人の人や一つのことに
あまりにも必死になった結果
かえって幸せではなく苦しむことになるなら、

僕は初めからあんまり無我夢中になって
そこしか見ないというふうには
ならないようにしようって

やっぱり気をつけていこうと思う。

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