つかの間の自由を守るために
本来ならリビングですればいいことでも
あれこれ言われるのが嫌で
夜自室に帰ってからしてたら
寝るのがめっちゃ遅くなる_(:3」∠)_
少し前からしたいと思ってたことがあって
昨日空いた時間にちょこちょこしてたんやけど、
寝たん2時半やもんな‥(苦笑)
でも、リアルタイムでは見られない
リエゾンもTVerで毎週見れてるし、
少しでも自分の時間があるのは有り難い。
非DV親が入院してた頃は
毎日ただひたすらDV親から暴力を
受けるばっかりで逃げ場所もなくて、
落ち着いて音楽を聴いたり
ドラマ見たりする時間なんて到底なかった。
**
法律上も、暴力の中に
実際に殴る蹴るとかではない暴言も
入ることになりそうらしい。
暴言も含め、昔から浴びてきた僕からしたら
「そんなん当たり前やろ。やっと?」
と思うけど、暴言を受けたことがない人や
日常的に暴力を受ける環境の中に
置かれた経験がない人にとっては
“暴力というものの中に暴言を加えるか”
というのは、人生の中でも他人事というか
そこまで大した問題でもないんやろうな。
経験してなくても
想像してみてくれよ、と思うけど
もし仮に僕みたいな人ばっかりで
日本が構成されてたらそれはそれで
めちゃくちゃ危なっかしいとも感じる;
親など家族から暴力を受けてきたとか
暴力に怯えてひたすら存在感を消して育ったとか
そういうのが「よくあること」になるなんて
本来おかしくて、許されないこと。
社会通念上では、暴言も暴力に含まれる
という考えもそれなりに通ってたかも
しれないんやけど、ずる賢い人は
実際に殴ったり叩いたりはせずに
その代わり暴言のみで人を追い詰めるから、
これからは法律の面でもしっかり
暴言も暴力の一つとして認めて
暴力で心が壊れてしまったり
人生をすごく苦しんで生きる人が
少しでも減ったらいいなあと心底思う。
自覚もなく分かってない人も多いけど、
暴言も含めて暴力は犯罪。
そんな誰かの暴力によって
辛く苦しい人生を歩むというのは、
本当に悲しいこと。
**
僕は趣味も親しい人との人間関係も
どっちかというと、深く狭くの方やと思う。
趣味に関しては、色々心の中で
興味を持つものはあったとしても
現実的にそれをできるかを考えると
すごく狭められてしまうのもあるし、
人間関係も、その場で何となく無難に
話すだけなら基本的に誰とでも話せるけど
ある程度“親しい友達”として認識するのは
かなりこの人は信頼できると思う人だけ。
人間関係はともかくとして
趣味はもう少し幅広い方がいいのかと
たまに思う時があって、
例えばスポーツが趣味やと
同じ競技や同じチームのみに視点が
向くんやなくて、できる限り広く見るように
する努力をしようかな?とか。
そうは言っても、限られた自由時間の中で
そんなにいくつものものには関われないし、
口で言うほど簡単ではないけど(^_^;)
一つのものを突き詰めて生きるのも
すごくいいと思うし、実際僕には人生の
ほとんどを一緒に過ごしてきた趣味もあって
それは本当に良かったんやけど、
何かを極める気持ちが強すぎるとついつい
“本当はこうしたいけどできない”
“もっとこうできたら楽しいのにな”
という面にフォーカスしがちになるから、
そうすると楽しむことからは少し
遠ざかってしまうことになるのかなーって。
**
少し前やけど、たまたま見つけて
買ったドイツのチョコがシンプルな
パッケージで何かかっこ良かった!
人にあげてしまったから味は分からん(笑)
ドイツ語やってた時期があったなって
懐かしく思い出す。
全然本格的にはやってなかったし
人に「ドイツ語やってました!」なんて
言えるような取り組み方は
できてなかったんやけど、それでも懐かしい!
ちなみに、ドイツ語をし始めたきっかけは
共通項があって応援してた選手が
当時ドイツに移籍したから。
今ももちろん好きな選手なんやけど、
今の僕の状況でもしその選手がドイツに
行ったとしたら、ドイツ語をするという
熱意はあるんやろうかと考えてしまった。
今思えば、あの頃はまだ
今よりは自由も少しはあったし
心の病気もましやったんかも。
今なら、どんなに心ではやる気になっても
ドイツ語のテキストを開いて内容を頭に
叩き込める自信はないかもしれない。
あれこれ言われるのが嫌で
夜自室に帰ってからしてたら
寝るのがめっちゃ遅くなる_(:3」∠)_
少し前からしたいと思ってたことがあって
昨日空いた時間にちょこちょこしてたんやけど、
寝たん2時半やもんな‥(苦笑)
でも、リアルタイムでは見られない
リエゾンもTVerで毎週見れてるし、
少しでも自分の時間があるのは有り難い。
非DV親が入院してた頃は
毎日ただひたすらDV親から暴力を
受けるばっかりで逃げ場所もなくて、
落ち着いて音楽を聴いたり
ドラマ見たりする時間なんて到底なかった。
**
法律上も、暴力の中に
実際に殴る蹴るとかではない暴言も
入ることになりそうらしい。
暴言も含め、昔から浴びてきた僕からしたら
「そんなん当たり前やろ。やっと?」
と思うけど、暴言を受けたことがない人や
日常的に暴力を受ける環境の中に
置かれた経験がない人にとっては
“暴力というものの中に暴言を加えるか”
というのは、人生の中でも他人事というか
そこまで大した問題でもないんやろうな。
経験してなくても
想像してみてくれよ、と思うけど
もし仮に僕みたいな人ばっかりで
日本が構成されてたらそれはそれで
めちゃくちゃ危なっかしいとも感じる;
親など家族から暴力を受けてきたとか
暴力に怯えてひたすら存在感を消して育ったとか
そういうのが「よくあること」になるなんて
本来おかしくて、許されないこと。
社会通念上では、暴言も暴力に含まれる
という考えもそれなりに通ってたかも
しれないんやけど、ずる賢い人は
実際に殴ったり叩いたりはせずに
その代わり暴言のみで人を追い詰めるから、
これからは法律の面でもしっかり
暴言も暴力の一つとして認めて
暴力で心が壊れてしまったり
人生をすごく苦しんで生きる人が
少しでも減ったらいいなあと心底思う。
自覚もなく分かってない人も多いけど、
暴言も含めて暴力は犯罪。
そんな誰かの暴力によって
辛く苦しい人生を歩むというのは、
本当に悲しいこと。
**
僕は趣味も親しい人との人間関係も
どっちかというと、深く狭くの方やと思う。
趣味に関しては、色々心の中で
興味を持つものはあったとしても
現実的にそれをできるかを考えると
すごく狭められてしまうのもあるし、
人間関係も、その場で何となく無難に
話すだけなら基本的に誰とでも話せるけど
ある程度“親しい友達”として認識するのは
かなりこの人は信頼できると思う人だけ。
人間関係はともかくとして
趣味はもう少し幅広い方がいいのかと
たまに思う時があって、
例えばスポーツが趣味やと
同じ競技や同じチームのみに視点が
向くんやなくて、できる限り広く見るように
する努力をしようかな?とか。
そうは言っても、限られた自由時間の中で
そんなにいくつものものには関われないし、
口で言うほど簡単ではないけど(^_^;)
一つのものを突き詰めて生きるのも
すごくいいと思うし、実際僕には人生の
ほとんどを一緒に過ごしてきた趣味もあって
それは本当に良かったんやけど、
何かを極める気持ちが強すぎるとついつい
“本当はこうしたいけどできない”
“もっとこうできたら楽しいのにな”
という面にフォーカスしがちになるから、
そうすると楽しむことからは少し
遠ざかってしまうことになるのかなーって。
**
少し前やけど、たまたま見つけて
買ったドイツのチョコがシンプルな
パッケージで何かかっこ良かった!
人にあげてしまったから味は分からん(笑)
ドイツ語やってた時期があったなって
懐かしく思い出す。
全然本格的にはやってなかったし
人に「ドイツ語やってました!」なんて
言えるような取り組み方は
できてなかったんやけど、それでも懐かしい!
ちなみに、ドイツ語をし始めたきっかけは
共通項があって応援してた選手が
当時ドイツに移籍したから。
今ももちろん好きな選手なんやけど、
今の僕の状況でもしその選手がドイツに
行ったとしたら、ドイツ語をするという
熱意はあるんやろうかと考えてしまった。
今思えば、あの頃はまだ
今よりは自由も少しはあったし
心の病気もましやったんかも。
今なら、どんなに心ではやる気になっても
ドイツ語のテキストを開いて内容を頭に
叩き込める自信はないかもしれない。
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