Double Peace :)

機能不全家族育ちの被虐待児。ものすごく元気に見られる心の病気持ち。ずっとスポーツが大好き。夢は健康に笑顔で大切な人と生きること。幸せな家庭育ちだけど見た目や雰囲気や性格や好みは僕と似た、前から知ってる子(ニコ)にこっそり片想い中。DV親からいずれうまく逃げるための手段を色々考えながらも、非DV親が入院・手術して療養し始めてからは家のことにも追われる毎日。
機能不全家族育ちの被虐待児。
ものすごく元気に見られる心の病気持ち。
ずっとスポーツが大好き。
夢は健康に笑顔で大切な人と生きること。

幸せな家庭育ちだけど
見た目や雰囲気や性格や好みは僕と似た、
前から知ってる子(ニコ)にこっそり片想い中。

DV親からいずれうまく逃げるための
手段を色々考えながらも、
非DV親が入院・手術して療養し始めてからは
家のことにも追われる毎日。
もしもう少し自由に生きられたなら

もしもう少し自由に生きられたなら

DV親の仕事上のあれこれもあって
DV親と顔を合わせる時間が前より増えて、
それと同時に短時間でも仕事の合間に
外の空気や光を浴びる機会が減ってしまって、

おそらくそれが重なってるから余計なんやろう、
ものすごくストレスが溜まってるというか
もはやストレスに溺れながら必死に
生き抜いてる気さえしてる。

**

知り合いと話してる時、その知り合いの
友達の話にたまになることがある。

僕はその知り合いの友達に会ったことないから
どんな人か詳しくは分からないけど、
ものすごく趣味に生きてる人。


僕もその知り合いもその友達も
同じ趣味を持ってるんやけど
その友達のことを知って、

それはさすがに都市伝説やろ!と
思うくらい色んな意味ですごい人が
実在することに、まず驚いたΣ(゚∀゚ノ)ノ


その知り合いから聞く話だけで判断したら
それはちょっといきすぎやないか?と
思うような言動も多々あったりで

熱心なことと何をしてもいいということは
全くの別物やと僕は考えるんやけど、

その知り合いの友達のスタンスで
僕もここは見習いたいと思ったところもあった。


それは、一つのこと(人でもものでも趣味でも)に
集中して極めようとしすぎずに
興味を分散してそれぞれ極めてるところ。


正直、もしその知り合いの友達が
僕みたいに家に複雑な事情を抱えてたり、
療養中や介護が必要な人が身内にいたり
そういう状況なら、いくら色んなことを
色んな場所で楽しみたいと思っても
現実的に難しいと思うから

自分の気持ちや想いだけでは
行動には移せない場合もあるし、

お金をかけてるから
いつもあちこち趣味関係に出かけてるから
ネットでの発信がめちゃくちゃ頻繁やから
イコール熱心とかすごいとは言い切れないけど、

何か一つに集中するんやなくて
同系統の趣味にエネルギーを分散して
もしどこか一つで嫌なことがあっても
他のところに心の行き場所を用意してるのは
素直にすごいなと思う。


どうやって今みたいになれたのかは
分からないけど、安定した暮らしができて、
世間一般にも堂々と言えるような立場で
趣味にも没頭して生きていけるって
それは本当にすごいなーって。


僕は色んな意味で安心して暮らせてはいないし
世間体に打ち勝てるものなんてないし
趣味をある程度自由に楽しめてもないし

そんなに全てを兼ね備えてる人もいるんか‥
と正直思ってしまった。


その人も、自由そうに見えてるだけで
陰でめっちゃ努力してるんかもしれないし、
生き方がうまいならむしろ僕も
羨んでるより見習うべきなのかもしれないけど。


あと、僕は趣味の場でも
自分が思ったことをあんまり
誰かにそのまま言うタイプではないから、

これを言ったらあの人に失礼やなとか
きっと嫌な思いする人がいるやろうとか
あんまり考えずにその時思ったことを
何でも迷わず言葉にしてしまえるところも

いいのか悪いのか分からんけど色々すごいな。


僕の知り合いがその人の友達ってことやから
おそらく間接的にはその人も
僕のことを知ってるんやろうし、

僕は自分が直接知らない人に
あんまり自分のことを色々知られるのは
怖いと思ってしまうから

知り合いに話したことは
知り合いの友達筋には流れるかもしれない
というのは常に意識して知り合いと
接するようにしてる(。-∀-)


言葉は一回発してしまえば取り消せないし、
実際の僕とは違ったとしても
「ラケってこうらしいよ」と誰かが言えば、
狭い趣味の世界の話、
すぐに広がってそれは消せなくなってしまう。



この前、知り合いが趣味の場で撮った!って
写真を送ってきてくれたんやけど
何か別世界で‥(苦笑)、

知り合いにどんな友達がいようと
それは知り合いの自由で
僕には関係ないことなんやけど、

僕が何気なく知り合いに話したことを
湾曲されてその知り合いの友達とかに伝わって
同じ趣味界隈で噂が回ったりしたら嫌やから

そこはいつも気をつけてる。


そんなに周りの人間を警戒する必要も
ないのかもしれないけど、DV親を見て育つと
人間全般に身構えるようになってしまう。


ただ、その知り合いも普段本当に色んなことを
僕に話してくれるのに、その友達の話は
他の話に比べたらそこまでしないというのは

その友達と僕はタイプが違ってあんまり
合いそうにないと思ってるからなんかも。

**

もしもう少し僕に自由があったら

小さい頃からずっと大好きなこと以外にも
好きなことを増やしていきたかったし

そのずっと大好きなことの中でも
色んな方面に興味を広げてみたかったかなぁ。


現状、一つ何かをするのにも
それまでに多くの下準備や根回しが要るし
作戦を立てていかに無事にその一つのことを
やり遂げるかを前々から考え抜いて
やっとそれができるという感じやから、

どうしても一つのことにこだわってしまったり
一つの趣味にすがりついてしまったり
「今の僕が心癒されるものはこれしかない」
みたいに思ってしまいがちなんやとは
僕自身も意識してるというか
分かってるはずなんやけどなぁ‥(-ω-;)


ただ、もし僕が趣味や普段の生活に関して
今より自由に楽しめる人やったとしたら

その有り難みを分からずに
もっとこうしたい!あれもこれもしたい!
になって、それが幸せやとはなかなか
気づけなかったのかもしれないとも思う。


毎日当たり前のように暴力的な態度を
取られる環境が普通とも健全とも思わないけど、

仮に生まれてから今までずっと
安心して暮らせてある程度の自由もある
恵まれた場所で生きてきてたとしたら

本来特別ですごく有り難いはずのことにも
感謝できてたやろうか。

人間は欲深いから
「もっとこうやったら良かったのに」
「あの人はもっと楽しんでるのに自分は」
なんて考えたりしてしまってたのかも‥?

**

明日と明後日は家の用事がある。

外に行っても、僕が見たい所に
行けるわけでもなく、ただ黙って淡々と
DV親の機嫌をうかがいながら用事をこなす。


きっとまた沢山歩くんやろうから
底が厚めのソックス履いていこう‥(ヽ´ω`)


その日一日を無事に生き抜くことに全集中。


僕にとっては、先々への不安と闘いながら
今を何とか乗り越えることで精一杯やけど、

いつかこんな日もあったと
笑える日が来るんやろうか。

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