憧れるのをやめるという考え方
「僕からは1個だけ。
憧れるのをやめましょう。
やっぱり憧れてしまっては超えられない。
僕らは超えるために、
トップになるために来たので、憧れを捨てて、
勝つことだけを考えていきましょう」
大谷翔平選手が、昨日のアメリカ戦の
前の円陣で仲間を鼓舞して言った言葉。
その意味の深さを、一日経った今も
僕はすごく考えてる。
僕は昔から、自分をへりくだりすぎて
考えてしまう傾向にある。
謙虚とか控えめと言うとプラスに思えるけど、
自分はいるだけで(生きてるだけで)
恥ずかしい、申し訳ない、
なるべく大きなことは言わずにせずに
とにかく周りの機嫌をうかがって
やり過ごして無難に生きられたらいい、
もう幼稚園くらいからそう思ってた記憶がある。
夢を持っても、憧れを持っても
「だけど、あの人と僕は違うから」
「存在を認められて生きてるあの人と
痛めつけられて何とか生き延びてる僕は
人としての価値が違う」
そんなふうに無意識に思ってきた。
自分のそういう考えを無条件に
正当化するつもりはないけど、
暴力家庭に育てばそうなっても
仕方ないやろ、とは正直思ってる。
誰かに対して憧れを持つの自体はいいことやし
その憧れに追いつけるためには
まず自分が今できることは何なのか、
考えながら生きることは大切で素敵やと思う。
でも、憧れをずっと憧れと思いすぎてると
いつしか「自分はいつまでもそうなれなくて
当たり前なんや」という認識にもなってくる。
何かや誰かに憧れる自分に満足してしまうと
その憧れに追いつくことも
肩を並べることも難しくなってしまう。
巨人にいた上原浩治さんが現役時代に
「僕は、夢という言葉は好きじゃないんです」
と言ってて、え?何で?夢ってええやん!
と思ったことがあった。
上原さんは、夢を持つことがダメと
言ってるんではなくて、夢を夢やと思ったら
「自分には叶えにくいもの」という定義に
なってしまいがちやから、夢よりも目標として
自分が目指すものを考えた方がいい、
という内容で、そういう考えもあるんやなと
当時の僕にとってとても心に残る話やった。
上原さんは、大学を浪人した時に
色々と悩んだらしくて、
そういう経験も踏まえてその言葉が
出てきてると思うと、その背景も含めて
なるほどなあと感じたのを今も思い出す。
僕がかつて、この方面で将来
食べていこうと思った道に何人か
当時は憧れてた人たちがいたんやけど、
中には今振り返って
「人としては憧れなくても良かったな」と
感じられる人もいて、
だからある程度広い視野を持った上で
誰かに憧れるのは良くても
まだ子どもやったり、人生の支えや救いを
そこに求めすぎたりの憧れはある意味危ない
とも今振り返って実感するところで。
あれこれ過去を振り返っても
今更どうにもならないから
そこから学びはしてもただ無闇に
後悔するだけというのはやめようと
いつも思ってるけど、
大谷選手の憧れへの考え方は
これから先、僕がいざという時には
何度でも思い出したい考えやなぁ。
まずは僕の場合は
自分がここに生きててもいい、
将来に夢や目標を持ったっていいと
自分自身認めるところから始まるんやけど。
それを僕自身ができてなかったら、
誰に憧れても本当の意味で幸せな未来はないし
大人になっても学ぶこと感じることは沢山。
**
いつも使ってるペンの替え芯を
替えるのに買い置きあったっけ?と思って
ちょっと心配になった。
主に外で使ってるペンやから
頻度的には毎日使うとかではないけど
そのペンがないとやっぱり不便で。
最近DV親の仕事の事情もあって
なかなか僕が普段自由に
買い物に行ったりはますますできなくなって
もしその替え芯がなかったら
近くのコンビニとかにもないやろうし
いつ買いに行けるかなと気になってたけど、
自室の棚の文具置いてある所見たら
ちゃんと買い置きしてた(´∀`∩)
ほんま少し前の自分を褒めたくなるわ(笑)
**
家の用事帰りに昨日見かけた桜*
いつの間にこんな咲いてたん!?
季節を分かってちゃんと咲くんって
植物は本当にすごいなと思う。
憧れるのをやめましょう。
やっぱり憧れてしまっては超えられない。
僕らは超えるために、
トップになるために来たので、憧れを捨てて、
勝つことだけを考えていきましょう」
大谷翔平選手が、昨日のアメリカ戦の
前の円陣で仲間を鼓舞して言った言葉。
その意味の深さを、一日経った今も
僕はすごく考えてる。
僕は昔から、自分をへりくだりすぎて
考えてしまう傾向にある。
謙虚とか控えめと言うとプラスに思えるけど、
自分はいるだけで(生きてるだけで)
恥ずかしい、申し訳ない、
なるべく大きなことは言わずにせずに
とにかく周りの機嫌をうかがって
やり過ごして無難に生きられたらいい、
もう幼稚園くらいからそう思ってた記憶がある。
夢を持っても、憧れを持っても
「だけど、あの人と僕は違うから」
「存在を認められて生きてるあの人と
痛めつけられて何とか生き延びてる僕は
人としての価値が違う」
そんなふうに無意識に思ってきた。
自分のそういう考えを無条件に
正当化するつもりはないけど、
暴力家庭に育てばそうなっても
仕方ないやろ、とは正直思ってる。
誰かに対して憧れを持つの自体はいいことやし
その憧れに追いつけるためには
まず自分が今できることは何なのか、
考えながら生きることは大切で素敵やと思う。
でも、憧れをずっと憧れと思いすぎてると
いつしか「自分はいつまでもそうなれなくて
当たり前なんや」という認識にもなってくる。
何かや誰かに憧れる自分に満足してしまうと
その憧れに追いつくことも
肩を並べることも難しくなってしまう。
巨人にいた上原浩治さんが現役時代に
「僕は、夢という言葉は好きじゃないんです」
と言ってて、え?何で?夢ってええやん!
と思ったことがあった。
上原さんは、夢を持つことがダメと
言ってるんではなくて、夢を夢やと思ったら
「自分には叶えにくいもの」という定義に
なってしまいがちやから、夢よりも目標として
自分が目指すものを考えた方がいい、
という内容で、そういう考えもあるんやなと
当時の僕にとってとても心に残る話やった。
上原さんは、大学を浪人した時に
色々と悩んだらしくて、
そういう経験も踏まえてその言葉が
出てきてると思うと、その背景も含めて
なるほどなあと感じたのを今も思い出す。
僕がかつて、この方面で将来
食べていこうと思った道に何人か
当時は憧れてた人たちがいたんやけど、
中には今振り返って
「人としては憧れなくても良かったな」と
感じられる人もいて、
だからある程度広い視野を持った上で
誰かに憧れるのは良くても
まだ子どもやったり、人生の支えや救いを
そこに求めすぎたりの憧れはある意味危ない
とも今振り返って実感するところで。
あれこれ過去を振り返っても
今更どうにもならないから
そこから学びはしてもただ無闇に
後悔するだけというのはやめようと
いつも思ってるけど、
大谷選手の憧れへの考え方は
これから先、僕がいざという時には
何度でも思い出したい考えやなぁ。
まずは僕の場合は
自分がここに生きててもいい、
将来に夢や目標を持ったっていいと
自分自身認めるところから始まるんやけど。
それを僕自身ができてなかったら、
誰に憧れても本当の意味で幸せな未来はないし
大人になっても学ぶこと感じることは沢山。
**
いつも使ってるペンの替え芯を
替えるのに買い置きあったっけ?と思って
ちょっと心配になった。
主に外で使ってるペンやから
頻度的には毎日使うとかではないけど
そのペンがないとやっぱり不便で。
最近DV親の仕事の事情もあって
なかなか僕が普段自由に
買い物に行ったりはますますできなくなって
もしその替え芯がなかったら
近くのコンビニとかにもないやろうし
いつ買いに行けるかなと気になってたけど、
自室の棚の文具置いてある所見たら
ちゃんと買い置きしてた(´∀`∩)
ほんま少し前の自分を褒めたくなるわ(笑)
**
家の用事帰りに昨日見かけた桜*
いつの間にこんな咲いてたん!?
季節を分かってちゃんと咲くんって
植物は本当にすごいなと思う。
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